「藤田進」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎人物・エピソード: 意味が通じないため一部書き替え。
89行目:
昭和10年、『[[嵐寛寿郎プロダクション]]』の発声映画『活人剣荒木又衛門』([[マキノ雅弘|マキノ正博]]監督)の富士山麓でのロケでのこと。同時録音のマイク係だった藤田は、マイクの性能のあまり良くない時代でもあり、一所懸命考えて道路の土の中にマイクを見えない程度に隠した。それを[[嵐寛寿郎]]が「こんなもんで音が録れるか」と云って、足でポーンと蹴った。大事なマイクを足蹴にされた藤田はその晩酔っぱらって、大きな身体で「アラカンの奴、ぶん殴ってやる!」と怒り狂い、映音の人たちを驚かせた。
 
[[マキノ雅弘|マキノ正博]]監督は藤田をおさえ、「そんなに口惜しいなら、お前も役者になり、立派なスタになってアラカンを見返してやれ」と云っ諭した。のちに藤田は東宝で大スタアになるが、このときはとりあえず『活人剣荒木又衛門』の仕事が済むまで「お前、クビや」と言い渡した。その後、東宝でスターとなるが、一時藤田は京都千本組の[[笹井末三郎]]の世話で、競馬の予想屋をやって食いつないでいたという<ref>『映画渡世・天の巻 マキノ雅弘伝』([[マキノ雅弘]]、平凡社)</ref>。
 
[[東京都]][[調布市]]で藤田自動車販売店の経営や投資会社の社長になるなど、[[実業家]]としても活動した。