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'''万 彧'''(ばん いく、? - [[272年]])は、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の政治家。[[呉 (三国)|呉]]に仕えた。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』呉志「三嗣主伝」と、その他各伝に分散して記録がある。
 
== 生涯 ==
はじめ、呉郡の鳥程[[県令]]であった。このとき、[[孫皓]]と仲良くなった。[[孫休]](景帝)の死後、皇太后の朱夫人や[[張布]]・[[濮陽興]]が孫休の遺言に従い、その遺児を擁立しようとしたが、左典軍であった万彧は幼少であることを理由として強硬に反対し、[[丁奉]]の賛成を取り付け、孫皓の即位を実現させた(濮陽興伝)。孫皓即位後、[[王蕃]]・郭逴・[[楼玄]]と共に常侍となる。成り上がり者であったため、清廉なことで知られていた王蕃から、軽蔑されているのではと疑っていたという(王蕃伝)。