「経 (仏教)」の版間の差分

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== チベット語訳経典 ==
{{main|チベット大蔵経}}
チベットにおける個別の仏典翻訳は、[[7世紀]]'''[[ソンツェン・ガンポ|ソンツェンガンポ]]王'''の命令で、経典のチベット語訳は、{{仮リンク|トンミ・サンボータ|bo|སློབ་དཔོན་ཐུ་མི་སམ་བྷོ་ཊ།|en|Thonmi Sambhota|label=トンミサンボータ}}によって始められたが、8世紀末、仏教が国教となるのにともない、仏典翻訳は王国の国家事業となり、隣国インドより網羅的、体系的に仏典を収集し、翻訳する作業が開始され、数十年の短期間で一挙に完遂された。サンスクリット語の原典を正確に翻訳するための[[チベット語]]文法と語彙の整備が行われ、シャン=イェシェデ、カワ=ペルツェク、チョクロ=ルイゲンツェンらが作業に従事、[[824年]]、一応の完成をみた({{lang|en|dkar-chag ldan-dkar-ma}}<ref>Yoshimura, Shyuki. 1950. The Denkar-ma: An Oldest Catalogue of the Tibetan Buddhist Canons. Kyoto: Ryukoku University.</ref><ref>川越英真『{{仮リンク|パンタン目録|en|Karchag Phangthangma}}』の研究、日本西蔵学会会報、51: 115 – 131.</ref><ref>Kawagoe Eishin 川越英真 (2005b). Dkar chag ʼPhang thang ma. Sendai: 東北インド・チベット研究会Tōhoku Indo-Chibetto Kenkyūkai.</ref>)
 
チベット仏教における経典の分類は、他の仏教圏とも共通する「経・律・論」の三部分類よりも、「仏説部(カンギュル)」、「論疏部(テンギュル)」の2分類が重視される。カンギュルとは釈尊のことばそのものである「カー」をチベット語に「ギュル」(翻訳)したもの、テンギュルとは、竜樹らインドの仏教学者たちが「カー」に対してほどこした注釈である「テン」をチベット語に「ギュル」したもの、の意味である。
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チベットの四大宗派のひとつ[[ニンマ派]]では、ある時期に埋蔵された経典(テルマ gter-ma)が、時を経て、しかるべき定めを帯びたテルトン(埋蔵経典発掘者)によって発見されたとする経、論を多数有し、同派の特徴となっている。テルマ(埋蔵経典)の出現は、中世以来、現代に至るまで継続しており、他の宗派からは、発掘者による創作だと見なされることが多い。この派は上記の諸版とは内容、構成のことなる独自の大蔵経を有している。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
==邦訳==