「山田正彦 (政治家)」の版間の差分

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|没年月日 =
|死没地 =
|出身校 = [[早稲田大学]][[第一法学部]]卒業
|前職 = [[弁護士]]
|現職 =
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== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[長崎県]][[福江市]](現[[五島市]])出身。[[早稲田大学]]第一[[第一法学部]]卒業。[[1969年]]、[[旧司法試験|司法試験]]に合格した。
 
早大卒業後、故郷の五島に戻り、10ヘクタールの土地を購入し開墾。[[1972年]]に牧場を設立し、[[代表取締役]]に就任。[[中華人民共和国]]の青島から仔牛を輸入し、日本の食肉基地たる大牧場をつくるべく奮闘するが、[[オイルショック|第一次オイルショック]]により牧場経営が打撃を受けたため、[[長崎市]]に「山田綜合法律事務所」を開設。弁護士業を営む一方、多角経営で牧場の再建にも取り組んだ。同時期、[[有機農業]]にも関心を示していた(数年後に牧場は完全譲渡)。
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[[1993年]]、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[新生党]]公認で旧長崎2区から出馬し、新党ブームの追い風に乗って初当選。[[1994年]]の新生党解党により、[[新進党]]結党に参加する。[[小選挙区比例代表並立制]]導入後初めて実施された[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]では[[長崎県第3区|長崎3区]]から出馬したが、自民党の[[虎島和夫]]に敗れ、落選した。[[1997年]]末の新進党解党により、[[小沢一郎]]が率いる[[自由党_(日本 1998-2003)|自由党]]結党に参加。
 
[[2000年]]、[[第42回衆議院議員総選挙]]に自由党公認で長崎3区から出馬し、再度自民党の虎島に敗れたが、[[重複立候補]]していた[[比例九州ブロック]]で復活し、4年ぶりに国政に復帰。[[2003年]]の[[民由合併]]により、[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]に入党。同年の[[第43回衆議院議員総選挙]]では、長崎3区で虎島後継の[[谷川弥一]]に敗れるが、比例復活により3選。民主党の[[次の内閣]]農林水産副大臣を務め、[[BSE]]問題に関連して[[アメリカ合衆国]]からの早期牛肉輸入再開に反対した。[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]でも再度谷川に敗れ、比例復活で4選。総選挙の大敗により引責辞任した[[岡田克也]]に代わり、[[民主党代表]]に就任した[[前原誠司]]の下、[[次の内閣]]農林水産大臣に就任。[[2007年]]9月には次の内閣[[厚生労働大臣]]に就任(~2009年1月)。大臣就任後は[[障害者自立支援法]]廃止法案や[[後期高齢者医療制度]]廃止法案の提出に尽力する。[[2008年]]6月、民主党の農業政策を批判した前原誠司副代表に対し、「前原誠司副代表の妄言を糾弾し、その「退場」を勧告する」と題したメールを[[筒井信隆]]・[[篠原孝]]・山田の連名で民主党所属議員に配信する。[[2009年]][[5月6日]][[1932年]]に[[中華人民共和国|中国]]で起きた[[平頂山事件]]について[[日本政府]]に公式謝罪を求める議員団に参加<ref>http://news.liao1.com/newspage/2009/05/4286321.html</ref>。
 
=== 鳩山政権 ===