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#6画の字は、普通音読みの50音順に並んでいる。「銅」(どう)は同じ6画の「銀」(ぎん)よりは後にあり、「銘」(めい)よりは前にある。
 
部首を用いて漢字を検索する場合には、「鉄」の字の例のように容易な場合もあれば、そうでない場合もある。たとえば部首が自明でない場合には、いくつか見当をつけて、それらを順に当たっていかなければいけない。字書によっては、この点を工夫し、たとえば「男」の字を「田」の部に収録する字書でも、「力」部の5画にも、「男」の字の記載ページ書くなど、利用者が探しそうな、いくつかの箇所からも引けるようになっている。
 
[[コンピュータ]]における漢字入力では、部首を利用できるものもある。一方で[[中国語]]の入力方法の一つである[[倉頡輸入法]]は漢字を部分に分解して入力するが、部首との直接の関連はない。
 
== 歴史 ==
漢字をいくつの部に分けるかは、時代や字書の編者によって異なっているが、大まかに言えば[[時代]]が進むにつれて、少ない部に分ける方向で整理されてきた。
 
本来は、例えば「心」に関係のあを部分としている字を一つの「'''部'''」にまとめ、それらの部を代表する字として部の最初('''首''')に配置された字、ここでは「心」という字そのものが「'''部首'''」であった。そして「心」を部首とする部を「心部」のように呼ぶことにした。しかし、後に「部」と「部首」が混同され、「心」でなく「心部」のほうを「部首」と呼ぶようになった。
 
=== 『説文解字』による部首分類 ===
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== 伝統的な部首分類と漢和辞典の改良 ==
昭和の始めまで、日本の[[漢和辞典]]は、意味による部首分類である[[康字典]]の分類を踏襲するのが普通であったため、部首を引くのは必ずしも容易ではなかった。それはたとえば、「{{JIS2004フォント|忄}}」(りっしんべん)の字を引くには「心」部を見なければいけいようなものに限らず、「承」の字は「手」部に入を見る必要があていような例もある。これらは、字の成り立ちに由来するものであしていことが多い。また、1946年(昭和21年)の当用漢字表、1949年(昭和24年)の当用漢字字体表による[[新字体]]への変更により、旧字体との乖離への対応も必要となった。
 
[[長沢規矩也]]は、字の見た目から引けるように工夫をした『新撰漢和辞典』を1937年(昭和12年)に刊行した。以後、漢和辞典では様々な工夫が重ねられている。
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このような変形は幾つかあるが、「衣」部である「{{JIS2004フォント|衤}}」は、「ころもへん」と呼ばれるなど、名称にも変形前の痕跡をとどめるものが多い。
 
歴史的には、初めて漢字を部首によって分類した『[[説文解字]]』では、親字が[[篆書体]]であったため、「心」も「{{JIS2004フォント|忄}}」も同形であった。「心」と「{{JIS2004フォント|忄}}」の字形の違いは、篆書体から[[隷書体]]に書体が変化した(これを「隷変」と呼ぶ)ときに生まれたものである。
 
[[楷書]]を使用するようになった現在でも、多くの字書では、部首が変形したものを本来の部首に所属させている。そのため、「胴」「胸」など「月(にくづき)」が付く字が、4画の「月部」でなく6画の「肉部」に属するなどの一見不自然な状態が生じている。これを回避するために、同じ字形に見えるものは分けない字書もある。逆に[[台湾]]の[[活字]]や[[フォント]]では、字形のほうを変化させて部首の違いが容易に分かるようにしている。