「建勲神社 (天童市)」の版間の差分

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天童織田家は、織田信長の次男・[[織田信雄|信雄]]の子孫で、信雄の四男・[[織田信良|信良]]を祖とする。子孫は[[上野国]][[小幡藩]]から[[出羽国]][[高畠藩]]と渡ったのち、天童に[[陣屋]]を移した。
 
当初は天童藩知藩事の[[織田信敏]]が[[東京]]の私邸内に「織田社」と称して祀っていたが、[[明治]]2年([[1869年]])[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]に[[神祇官]]より「健織田社」(たけしおりたのやしろ)という[[神号]]が下賜された。この健織田社を明治3年([[1870年]])[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]に天童市の城山(現 [[舞鶴山]])山頂へ分祀したのが、建勲神社の起源である。
 
同年(1870年)[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]、健織田社は[[太政官]]の通知により「建勲社」へと改称し、[[太平洋戦争]]終結までこの名称は使われた。
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== 現地情報 ==
; '''所在地'''
* [[山形県]][[天童市]]天童字城山1043
 
; '''交通アクセス'''
 
{{underline|鉄道}}
* [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[山形新幹線]]・[[奥羽本線]] [[天童駅]]から、南東へ徒歩10分
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{{神道 横}}
 
{{DEFAULTSORT:たけいさおしんしやてんとうし}}
[[Category:山形県の神社]]
[[Category:天童市]]
[[Category:山形県の旧県社]]
[[Category:天童市の歴史]]
[[Category:織田信長|社てんとう]]