「1793年の人間と市民の権利の宣言」の版間の差分

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原文は主にエロー・ド・セシェルが書いたものとしばし語られ、彼の筆致は委員会の文書のほとんどで確認できる。委員会はまた[[1793年憲法]](「憲法元年」)を書いた。同憲法は適用されることはなかったが、その理想は20世紀初頭のフランス左翼にまで引き継がれた。
 
[[テルミドールのクーデター]]の後、[[1795年]]に憲法が改められる際には、人権宣言の特に平等部分が問題となり、[[1795年の人間と市民の権利・義務の宣言]]({{lang-fr-short|Déclaration des droits et des devoirs de l'Homme et du citoyen de 1795}} )としてこれも改定された。これにおいては1793年版のもっていた左派的要素はきれいに削除されていた。
 
しかし[[フランス第四共和政]]の憲法の最初の計画もまた、この1793年版の人間と市民の権利の宣言を参照していた。{{-}}