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* 1930年3月 - [[日支関税協定]]。日本が中国の関税自主権を承認したほか、日中は三年間の互恵協定を結んだ<ref>[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00869382&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 日支関税協定正式調印] 時事新報 1930年5月</ref>。
* 1930年6月 - 臨時産業合理局設立
* 1931年1月31日 - 衆議院予算総会において、松岡洋右は[[満蒙問題]]に対し、「満蒙は経済的にも国防上でも日本の生命線」であるとして、力を入れて貰いたいと発言した<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=5cv9-d85QIcC&pg=frontcover 動く満蒙] 松岡洋右 1931年‎7月 P.142</ref>。同年2月13日の発言において、松岡洋右は特に、満蒙問題のうち、特に東三省と朝鮮地方を日本海側で繋ぐ[[吉会鉄道]]の工事請負契約不履行問題を重要視していた<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=5cv9-d85QIcC&pg=frontcover 動く満蒙] 松岡洋右 1931年‎7月 P.189</ref>。この吉会鉄道は[[清津港]]もしくは[[羅津港]]へと繋げることとなっていた のどちらか([[吉会鉄道の終端港問題]])へと繋げることとなっていた
* 1931年3月23日 - オーストリアとドイツが[[独墺関税同盟]]案を発表。その後、フランスなどがパリ講和条約及びジュネーヴ議定書に違反するものだとして抗議、独墺両国は合法を主張し国際裁判所で否決されても服従しないとした<ref name="dome-tekkai">[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00870886&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 偉なるかなフランス 独墺関税同盟案撤回さる] [[東京日日新聞]] 1931年9月6日</ref>。
* 1931年4月1日 - [[重要産業統制法]]公布、翌2日には[[工業組合法]]公布、カルテル結成を促した