「王羲之」の版間の差分

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* <span id="孝女曹娥碑">孝女曹娥碑(こうじょそうがひ、『曹娥碑』とも)</span> - [[升平]]2年(358年)
: 小楷の[[法帖]]。曹娥碑の建碑は[[後漢]]であり、後に王羲之がその碑を[[臨書]]したといわれ、末尾に「昇平(升平)二年」(358年)の年紀が見える。しかし、本帖は[[南宋]]になって初めて文献に出たもので、王羲之の書である確証はない。現存するのは、六朝人の手によるものと推測される臨模本(絹本、遼寧省博物館所蔵)と『[[集帖#&#x7B60;清館帖|&#x7B60;清館帖]]』・『[[集帖#群玉堂帖|群玉堂帖]]』・『[[集帖#停雲館帖|停雲館帖]]』・『[[三希堂法帖]]』などに刻入された拓本がある。建碑の由来は、後漢の上虞(今の[[浙江省]][[紹興市]][[上虞]])の[[曹&#x76F1;]](そうく)という者が溺死し、その娘の曹娥が嘆き悲しみ、父を慕ってその場所に身を投げ、5日後に父の[[屍]]を抱いて浮かび上がったという事跡から、その曹娥の孝心を讃えて上虞の[[県長]]が[[邯鄲淳]]に撰文させ、建碑したというものである<ref>飯島春敬 P.58</ref><ref>中西慶爾 PP..279-280,515</ref><ref>木村卜堂 P.115</ref><ref>西林昭一 P.123</ref>。
 
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