「ムスチスラフ3世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
2行目:
 
== 略歴 ==
[[1177年]]、[[ロストフ]]において、叔父{{仮リンク|リューリク2世・ロスチスラヴィチ|ru|Рюрик Ростиславич (князь киевский)|en|Rurik Rostislavich|label=リューリク2世}}、兄ヤロポルク・ロマーノヴィチと共に[[キプチャク|ポロヴェツ族]]との戦いに参加し、敗戦している。これがムスチスラフ3世が政治の舞台に登場した最初の記録である。
 
[[1178年]]、父ロマン1世によって、[[ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ]]と争っていた[[ヴィテプスク公]][[フセスラフ・ヴァシリコヴィチ]]の援軍として派遣され、[[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド]]におけるムスチスラフ・ロスチスラヴィチの主導権を遮断して紛争を収めた。