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'''会衆派教会'''(かいしゅうはきょうかい/Congregational Church)は、[[キリスト教]]の[[プロテスタント]]の一教派で、他に会衆派、組合派、組合教会とも。各個教会の[[教会政治]]において、[[会衆制]]とよばれる教会員の[[直接民主制]]に近い制度を採ることが特徴で、各個教会の[[独立]][[自治]]を極めて重視する。
[[File:Protestantbranches ja.svg|thumb|right|540px|[[プロテスタント]]諸教派([[聖公会]]、[[アナバプテスト]]を含む)の系統概略]]
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[[神学]]的には、スイスの宗教改革者であった[[カルヴァン]]の影響が強かったが、直接民主的な[[会衆制]]をとるために[[自由主義神学|リベラル]]な傾向を持ち、人道主義的な思想や運動と結びつきやすいものとなった。いち早く[[奴隷制度]]に反対し、[[南北戦争]]の後、南部に黒人のための大学を設立し、現在でも、人権問題に積極的に取り組んでいる。外国伝道にも熱心で、北米最初の超教派的な外国伝道団体、[[アメリカン・ボード]]を設立している。
 
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== 日本における歩み ==
日本における会衆派教会の歩みは、[[同志社]]の創立者である[[新島襄]]による伝道活動に始まる。彼は幕末に函館より鎖国していた日本を脱国(密出国)し、アメリカで学んで1874年に帰国した時には[[アメリカン・ボード]]の伝道者でもあった。翌年(1875年)、新島は京都の地で[[同志社]]を設立するが、並行して伝道活動も行ない、京都を中心に独立自治の会衆派教会を設立していった(当時は「教会」と呼ばず「公会」と称した)。その後、神戸を基盤に活動していた[[アメリカン・ボード]]の外国人伝道師や、その他の会衆派系の伝道師によって設立された各地の教会は、ゆるやかな伝道協力組織として「[[日本基督教伝道会社]]」を設立(1878年)、のちに教派の組織として31教会が「[[日本組合基督教会]]」([[1886年]])を設立した。