「大鳳 (空母)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
148行目:
1944年(昭和19年)[[6月18日]]、[[マリアナ沖海戦]]に参加。「大鳳」から発艦した彗星が米軍機動部隊を発見し前衛艦隊は攻撃隊発進を開始したが、攻撃隊の帰還は夜間となるため夜間着艦の危険性を考慮され、この日の攻撃は見送られた<ref>[[#海の武将]]133頁</ref>。6月19日、午前6時30分「能代」の水偵が米軍機動部隊を発見。午前7時45分より「大鳳」は攻撃隊を発艦した。7時58分には予定どおり発艦作業が終了。艦の殆どの者が甲板に上がって攻撃隊を見送っており、対潜警戒がおろそかになっていた可能性も指摘される<ref>半藤一利・秦都彦『太平洋戦争 日本海軍戦場の教訓』(PHP文庫、2001年)267頁<br/> 秦は大鳳に乗艦していた大前敏一参謀の談話として紹介。</ref>。そのころ[[ガトー級潜水艦]]「[[アルバコア (SS-218)|アルバコア]]」(''USS Albacore, SS-218'') が小沢艦隊を追跡していた。「アルバコア」は望ましい発射点に付く事を諦め、やや遠距離から6本の魚雷を発射した。「大鳳」の上空では発艦した第一次攻撃隊が編隊を組みつつあったが<ref name="maru201106"/>、小松幸男兵曹長の彗星が編隊に加わろうとせず、右に旋回して海に突入した<ref>[[#海の武将]]69頁</ref><ref>六〇一空『昭和19年6月 (あ号作戦) 601空 飛行機隊戦闘行動調書』2画像目</ref>。「大鳳」から右5000mくらいの海面だったという<ref name="maru201106"/>。これは同機が雷跡を発見し、自爆突入して魚雷を阻止しようと試みたものである<ref>[[#海の武将]]135頁</ref>。見張員は直ちに報告、「大鳳」は28ノットで直進中であり取舵一杯が下令されたが、午前8時10分に1本が右舷前部に命中した<ref name="あ1号詳報27">「あ号作戦戦闘詳報(サイパン島西方海面に於ける戦闘)(1)」pp.27、「あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)」pp.30</ref>。
 
この時点で「大鳳」は傾斜も起きず、前部がやや沈下したのみで<ref name="maru201106"/>、戦闘続行可能だった。だが前部昇降機が下部の戦闘機格納庫から1mほどのところで零戦を乗せたまま前側に傾いて停止した。小沢長官の命令により、工作兵が総動員で作業は艦内にあった応急処置用の丸太をかき集め、停止した昇降機の上に食堂の椅子や机を櫓状にくみ上げて昇降機の穴(14m四方)を塞いだ<ref name="塩山">文藝春秋臨時増刊『目で見る太平洋戦争史』(昭和48年12月増刊号)176-177頁<br/> 塩山策一海軍技術大佐談。艦隊司令部付で「大鳳」に乗艦。</ref>。攻撃隊指揮官の小野大尉がその強度を確認し、搭載していた魚雷や燃料を降ろして軽くした零戦1、彗星1、天山4-5機が発艦し「瑞鶴」に移動した<ref name="maru201106"/>。午前10時30分、第一航空隊(小沢部隊)から第二次攻撃隊が発進している<ref>「あ号作戦戦闘詳報(サイパン島西方海面に於ける戦闘)(1)」pp.25</ref>。速力は船体の沈下によって26ノットに低下した。艦首の沈下は内務科・補機分隊によって左舷後部への注水が実施され、早々に是正された。
 
しかし被雷直後より下部格納庫の前部昇降機付近よりガソリンの湧き出しが始まっていた<ref name="maru201106"/>。魚雷命中の衝撃で破壊されたガソリンタンクから漏出したガソリンが、周囲の浸水によって格納庫にまで押し上げられていたと考えらた<ref name="maru201106"/>。気化したガソリンは格納庫を始めとした艦内に充満しつつあり、換気作業も急がれた。上下の格納庫は気化したガソリンで出入りが困難になるほどの状況であった。また缶室との距離も短いためにガソリンそのものの流出抑制作業を平行して行われたが<ref name="maru201106"/>、気化したガソリンを吸入して失神する乗員が続出<ref name="maru201106"/>。火花を恐れて工具の使用が憚れたなどの理由により<ref name="maru201106"/>、作業は捗らなかった。12時頃には「気化ガス充満、タバコ禁止、火花が出るような作業も禁止」との伝達が艦内各部署になされた<ref name="maru201106"/>。格納庫の側面の扉はすべて開かれたがそれでも換気が追いつかず、格納庫の側壁の鋼鈑を故意に破壊して穴を開けている<ref name="maru201106"/>。後部昇降機も下げられ、発電室などの扉も開放するなど<ref name="maru201106"/>、必死の換気作業が行われた。「大鳳」への着艦は、以上の状況により上空警戒の戦闘機と緊急を要するものに限定されたが、その後「翔鶴」が被雷によって落伍したために第一次攻撃隊の収容も担当することになった。午後12時20分以降に小沢艦隊第一次攻撃隊が大鳳に帰還してきたが、米軍の反撃により膨大な未帰還機が発生しており、「大鳳」から発艦し戻ってきた機は4機(零戦3、偵察彗星1)だった。
 
=== 沈没 ===