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== 来歴・人物 ==
[[PL学園中学校・高等学校|PL学園高校]]時代は[[投手]]として[[第77春2全国高等学校野球選手権大会|の甲子園]]1回に出場し、ベスト8(同期に[[福留孝介]]がいる)が最高。その後、[[東洋大学硬式野球部|東洋大学]]へ進学。東都大学1部、2部、リーグ通算6290試合出場、196打数43安打、打率.21925337本塁打、2333打点。{{by|1999年}}の[[1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]3位で[[大阪近鉄バファローズ]]に入団。入団1年目から開幕スタメンで出場するなど、巧守の内野手として{{by|2004年}}までに405試合に出場。特に試合後半の[[守備固め]]として[[二塁手]]や[[遊撃手]]を務めることが多かった。
 
{{by|2005年}}、[[選手分配ドラフト]]により[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍。シーズン中(交流戦期間中)、[[沖原佳典]]とのトレードで[[阪神タイガース]]へ移籍し、楽天から移籍退団した初めての選手となった。
 
阪神に入団後は遊撃の[[鳥谷敬]]が不動であること、二塁にも[[平野恵一]]や[[藤本敦士]]がいること、更に[[代走]]や守備固めとしても[[田中秀太|秀太]]がいたこともあって出番は少なかったが、PL学園高・東洋大共通の先輩であり、守備をあまり得意としない[[今岡誠]]にアドバイスを送っていることが報じられていた。{{by|2008年}}8月7日の対[[広島東洋カープ]]戦では[[関本賢太郎|関本健太郎]]の故障もあり、移籍後初のスタメン出場を果たした。しかし、守備力はあったものの通算で打率1割台という非力な打撃が原因で、何度もレギュラー獲得の好機があったにもかかわらず逃している
 
{{by|2009年}}は一度も一軍昇格できず、10月2日に[[戦力外通告]]を受けた。シーズン終了後、[[12球団合同トライアウト]]に参加するも獲得に動いた球団はなく、そ年間まま現役生活を引退し、[[by|2010年]]より[[四国アイランドリーグplus]]・[[香川オリーブガイナーズ]]の野手コーチに就任し、2シ1年目から独立リズン務めグ日本一になるなど野手陣の底上げに力を発揮した。
2年間の指導でNPBに4人の野手を送り込むなど指導力を評価され、[[2012年]]から[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[福岡ソフトバンクホークス (ファーム)|二軍]]内野守備走塁コーチを務める<ref>{{Cite web|date=2011-12-22|url=http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/8196.html|title=新入団のお知らせ|publisher=福岡ソフトバンクホークス|accessdate=2011-12-22}}</ref>。[[2013年]]、[[10月7日]]に球をもって退から来季の契約を結ばない事が発表された<ref>[http://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/10226.html 来季契約について]福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト2013年10月7日配信</ref>2014年からは社会人野球のセガ・サミーでコーチに就任する
 
近鉄時代の[[応援歌]]は、[[吉田剛]]のテーマ(原曲:[[バンダイナムコゲームス|ナムコ]]のゲームソフト『[[スカイキッド]]』)の流用だった。