「サミュエル・ロビンス・ブラウン」の版間の差分

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1858年2月に再び、海外伝道に行く決心をして、1859年[[オランダ改革派]]教会から、[[デュアン・シモンズ]]、[[フルベッキ]]と共に日本派遣宣教師に選ばれて、5月7日にニューヨークから出発した。
 
1859年11月1日、ブラウンとシモンズは神奈川に上陸して、フルベッキは上海を経て、11月7日に上陸した。ブラウンは、先に成仏寺に間借りしていた[[ヘボン]]と共に、[[成仏寺]]の本堂を間借りし、日本語の学習と聖書の和訳を始めた。
 
同年、日本語教師として[[矢野隆山]]を雇ったが、聖書和訳のためには能力不足と考え、キャロライン・アドリアンスに日本語教師にした。後に、矢野は[[ジェームス・バラ]]の日本語教師になり、最初のプロテスタント信者になった。