「ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)」の版間の差分

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[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の'''ヴァイオリン協奏曲''' ニ長調(''Violinkonzert D-Dur'')作品77は、[[1878年]]に作曲された[[ヴァイオリン]]と[[管弦楽]]のための[[協奏曲]]。
 
ブラームスは幼時からピアノよりも先にヴァイオリンとチェロを学び、その奏法をよく理解してはいたが、最初の、そして唯一のヴァイオリン協奏曲を書き上げたのは45歳になってからだった。これは、[[交響曲第2番 (ブラームス)|交響曲第2番]]の翌年という、彼の創作活動が頂点に達した時期にあたり、交響的な重厚な響き、入念な主題操作、独奏楽器を突出させないバランス感覚、いずれもブラームスの個性が存分に表現された名作となった。本作品は、[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ベートーヴェンの作品61]]、[[ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)|メンデルスゾーンの作品64]]と並んで'''3大ヴァイオリン協奏曲'''と称されている。また同年に発表された[[ヴァイオリン協奏交響第1番 (チャイコフブラームキー)|チャイコフスキーの作品35交響曲第1番]]と並び、超絶技巧においてベートーヴェンの強い影響要求す受けたことは有名であが、ヴァイオリン協奏においても同じことが言え、しかも同じニ長調であることからベートーヴェンに対するオマージュが感じ取れる。
 
この作品を聴いた[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]は、その交響的な響きに衝撃を受け、自作の[[ヴァイオリン協奏曲 (シベリウス)|ヴァイオリン協奏曲]]を全面的に改訂するきっかけとなった。
 
一方[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]は、[[ナジェジダ・フォン・メック|メック夫人]]へ宛の手紙で、この曲について「私の好みに合わない」「詩情が欠けているのに、異常なほどに深遠さを装ってみせる」と酷評している。
同年に発表された[[ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)|チャイコフスキーの作品35]]と並び、超絶技巧を要求する難曲である。
 
 
==作曲の経緯==
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==作品の内容==
;第1楽章 Allegro non troppo 22分ー23分
:[[ニ長調]]、[[ソナタ形式]]。第1主題が中心になることと楽器が拡張された点を除けば、構成、曲想ともに同じニ長調であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章とほとんど一致する。冒頭からゆったりとした第1主題がヴィオラ、チェロ、ファゴットにより演奏され、オーケストラに引き継力強く提示する。オーケストラによる第2主題の提示がないまま弦楽器群が[[マズルカ]]風のリズムを力強く奏すとコデッタとなり流れるように下降して、そのまま第2提示部へ入る。独奏ヴァイオリンが情熱的な音で演奏に加わり第1主題をオーケストラと歌い交わす。オーケストラによる提示部で披露された動機が回想されるうちに独奏ヴァイオリンが優美な第2主題を奏でる。これが第1ヴァイオリン、ヴィオラに引き継がれ再びコデッタ現れ、総休止で提示部が終わる。
:展開部はオーケストラのトゥッティによる第1主題で始まり、これまでに登場した動機を次々に活用し、入念に変形・組み合わせしてブラームスの美質を存分に味わえる。また独奏ヴァイオリンには9度、10度という幅広い音程での重音奏法が要求されている。これについてヨアヒムが「よほど大きな手でないと難しい」と修正を提案したのを拒絶している。その後はブラームスらしく独奏ヴァイオリンが重音奏法で掛け合ってる間、オーケストラの方も弦楽器とティンパニの激しいトレモロの上に管楽器が分散和音を繰り広げている。再現部もやはりトゥッティで始まり、提示部の主題を順番に再現し、オーケストラによるトゥッティで力強く締めくくってから[[カデンツァ]]となる。
:ブラームスはカデンツァを書いていないため、この協奏曲は多くのヴァイオリニストがそれぞれのカデンツァを書いており、その種類が多いことでも知られている。主なものに、初演者のヨアヒム、[[フリッツ・クライスラー]]、[[レオポルド・アウアー]]、[[アドルフ・ブッシュ]]、[[ヤッシャ・ハイフェッツ]]らのものがあるが、今日よく演奏されるのはヨアヒムとクライスラーのものであろう。カデンツァの後は第1主題に基づくコーダが続く。独奏ヴァイオリンが第1主題を静かに奏でるが、次第に力を増しながらテンポも速まり、全楽器で力強く終わる。