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'''ナーグプル'''({{lang-mr|नागपुर}}、{{lang-en|Nagpur}})は、[[インド]]中西部の[[マハーラーシュトラ州]]の都市である。面積218平方キロメートル、[[2011年]]現在の人口は241万人<ref name="citypopwg">{{Cite web|title=Provisional Population Totals, Census of India 2011 - Cities having population 1 lakh and above|url=http://www.censusindia.gov.in/2011-prov-results/paper2/data_files/India2/Table_2_PR_Cities_1Lakh_and_Above.pdf|format=PDF|language=英語|publisher=インド内務省|accessdate=2013-08-02}}</ref>。
 
==名称==
ナグプル、ナグプールとも表記する。
ナーグプルとは、「[[ナーガ]]の都市(プル)」を意味し、近くを流れていた川[[ナーグ川]]に因んでいる。ナグプル、ナグプールとも表記される。
 
インドでは高品質な[[オレンジ]]の取引で知られ、マラーティー語で「サントラ・ナガリ」(オレンジシティの意)の異名を持つ。<!--en:Nagpurより-->
 
==歴史==
同市の国際空港にもその名を冠した[[アンベードカル]]が、同地の[[ディクシャブーミ]]にて[[仏教]]へ改宗運動を起こした影響で、20世紀後半以降は、インド国内では比較的仏教徒の多い街として知られる。
[[File:Raghuji Raje Bhonsle.jpg|thumb|230px|left|[[ラグージー・ボーンスレー]]像(ナーグプル市内)]]
[[1702年]]、[[ゴンド王国]]の一つ・[[デーオガル王国]]の君主[[バフト・ブランド・シャー]]が、ナーグ川流域のラージャプルなど12の小集落を集めて都市ナーグプルを建設し、その首都とした。
 
その後継者[[ラージャ・チャンド・スルタン]]はさらに都市を発展させたが、[[1738年]]あるいは[[1739年]]に死亡した。
 
デーオガル王国がその死によって混乱すると、チャンド・スルタンの未亡人は強力な[[マラーター]]の指導者である[[ラグージー・ボーンスレー]]を呼び寄せた。彼はそののちここを拠点とし、デーオガル王国のみならず、周辺のゴンド諸王国も併合し、その死までに中央インド一帯に勢力を広げていた。
 
[[1818年]]までに、[[ボーンスレー家 (ナーグプル)|ボーンスレー家]]は[[イギリス]]支配下の藩王国となっていたが、[[1853年]]に藩王[[ラグージー・ボーンスレー3世]]が跡継ぎなく死亡したことにより、翌[[1854年]]にナーグプルは併合された。
 
[[21世紀]]後半、同市の国際空港にもその名を冠した[[アンベードカル]]が、同地の[[ディクシャブーミ]]にて[[仏教]]へ改宗運動を起こした影響で、20世紀後半以降はインド国内では比較的仏教徒の多い街として知られる。
 
==著名な出身者==