「リッチモンドステークス」の版間の差分

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初夏のグロリアスグッドウッド開催5日間の3日目に施行される。グループ制導入以来、G2格を維持しており、この開催の2歳戦としては、ヴィンテージステークスと並ぶ重要な競走である<ref>http://www.horse-racing.co.uk/races/richmond-stakes.php HRUK リッチモンドステークスの歴史]2013年12月11日閲覧。</ref>。
 
===競走名の由来===
競走名は、[[:en:Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond|第3代リッチモンド公]]に由来する。
 
「[[リッチモンド伯]]」という爵位は11世紀まで遡るイギリスの伝統的な爵位の一つであったが、王朝の交代によって爵位を持つ家系は何度か変わってきた。17世紀の[[ステュアート朝]]・[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]によって設けられた公爵位が、現存するリッチモンド爵位となっている。
 
チャールズ2世は正式な結婚前から多くの愛人を持ち、たくさんの庶子を設けていた。庶子らには新たな爵位や屋敷を創設して与えており、[[チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)|初代リッチモンド公チャールズ・レノックス]]もその一人である。レノックス家に与えられた爵位は、イングランドのリッチモンド公爵、[[:en:Earl of March|マーチ伯爵]]、セトリントン男爵、スコットランドのレノックス公爵、ダーンリー伯爵、フランスのオウビーニュイ公爵と多岐にわたる。リッチモンド公は[[狩猟#ヨーロッパ|狩猟]]のために[[チチェスター]]に山荘を構えていた<ref>[http://www.goodwood.co.uk/goodwood-estate/history.aspx グッドウッド競馬場の歴史]2013年12月28日閲覧。</ref>。
 
[[:en:Charles Lennox, 2nd Duke of Richmond|第2代リッチモンド公]]は夫人との間に12人の子を設けた。娘たちは後に[[:en:Lennox sisters|レノックス姉妹]]として知られることになるが、男児には長男・次男とも生後まもなく死んだため、3男が[[:en:Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond|第3代リッチモンド公爵チャールズ・レノックス]](1735-1806)として家を継ぐことになった。
 
第3代リッチモンド公は、成人すると[[コールドストリームガーズ|第2近衛歩兵連隊]]で軍役についた。やがて連隊の指揮官となって数々の戦闘に参加するが、中でも大きな戦争は[[七年戦争]]だった。
 
第3代リッチモンド公はアメリカ移民の支援も行った。ジョージア州の[[リッチモンド郡 (ジョージア州)|リッチモンド郡]]、[[マサチューセッツ州]]にある[[:en:Richmond, Massachusetts|リッチモンド]]や[[:en:Lenox, Massachusetts|レノックス]]は第3代リッチモンド公にちなんで命名されたものである。[[アメリカ独立戦争]]後半にアメリカでの戦況が不利になり、フランスやスペイン、ロシアがイギリスと敵対するようになってイギリス本国が危うくなると、第3代リッチモンド公は、軍をアメリカからイギリスへ引き揚げるよう主張した。
 
第3代リッチモンド公はパリで大使を務めたほか、[[チャールズ・ワトソン=ウェントワース (第2代ロッキンガム侯)|ロッキンガム]]内閣のときに陸軍長官として入閣し、晩年にはイギリス陸軍元帥を務めた。ほかにも第3代リッチモンド公は様々な軍の役職を歴任したが、[[:en:Royal Horse Guards|近衛騎馬隊]]の指揮官もその一つである。
 
第3代リッチモンド公は政務を退くと、チチェスターでの隠居生活のためにグッドウッドの別荘と周囲の広大な敷地の整備を行った。別荘の設計を任されたのが有名建築家の[[:en:James Wyatt|ジェームズ・ワイアット]]で、競馬場の整備を依頼されたのが遠縁にあたる<ref>3代リッチモンド公の叔母マーガレットが、ベンティンクの曽祖父の弟の妻である。</ref>[[ジョージ・ベンティンク]]だった。この競馬場で第3代リッチモンド公は[[サセックス]]在住の軍関係者から会員を募り、競馬を行った。これが[[グッドウッド競馬場]]である。競馬場や敷地はその後も代々受け継がれ、現在の第10代リッチモンド公が近年改革を行っている<ref>[http://www.goodwood.co.uk/goodwood-estate/why-we-exist/why-we-exist.aspx グッドウッド競馬場公式HP]では、第10代リッチモンド公による「マーチ伯爵(Earl of March)」としての署名を見ることができる。2013年12月28日閲覧。</ref>。
 
==歴史==
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<references group="※注"/>
 
===競走名の由来===
競走名は、[[:en:Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond|第3代リッチモンド公]]に由来する。
 
「[[リッチモンド伯]]」という爵位は11世紀まで遡るイギリスの伝統的な爵位の一つであったが、王朝の交代によって爵位を持つ家系は何度か変わってきた。17世紀の[[ステュアート朝]]・[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]によって設けられた公爵位が、現存するリッチモンド爵位となっている。
 
チャールズ2世は正式な結婚前から多くの愛人を持ち、たくさんの庶子を設けていた。庶子らには新たな爵位や屋敷を創設して与えており、[[チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)|初代リッチモンド公チャールズ・レノックス]]もその一人である。レノックス家に与えられた爵位は、イングランドのリッチモンド公爵、[[:en:Earl of March|マーチ伯爵]]、セトリントン男爵、スコットランドのレノックス公爵、ダーンリー伯爵、フランスのオウビーニュイ公爵と多岐にわたる。リッチモンド公は[[狩猟#ヨーロッパ|狩猟]]のために[[チチェスター]]に山荘を構えていた<ref>[http://www.goodwood.co.uk/goodwood-estate/history.aspx グッドウッド競馬場の歴史]2013年12月28日閲覧。</ref>。
 
[[:en:Charles Lennox, 2nd Duke of Richmond|第2代リッチモンド公]]は夫人との間に12人の子を設けた。娘たちは後に[[:en:Lennox sisters|レノックス姉妹]]として知られることになるが、男児には長男・次男とも生後まもなく死んだため、3男が[[:en:Charles Lennox, 3rd Duke of Richmond|第3代リッチモンド公爵チャールズ・レノックス]](1735-1806)として家を継ぐことになった。
 
第3代リッチモンド公は、成人すると[[コールドストリームガーズ|第2近衛歩兵連隊]]で軍役についた。やがて連隊の指揮官となって数々の戦闘に参加するが、中でも大きな戦争は[[七年戦争]]だった。
 
第3代リッチモンド公はアメリカ移民の支援も行った。ジョージア州の[[リッチモンド郡 (ジョージア州)|リッチモンド郡]]、[[マサチューセッツ州]]にある[[:en:Richmond, Massachusetts|リッチモンド]]や[[:en:Lenox, Massachusetts|レノックス]]は第3代リッチモンド公にちなんで命名されたものである。[[アメリカ独立戦争]]後半にアメリカでの戦況が不利になり、フランスやスペイン、ロシアがイギリスと敵対するようになってイギリス本国が危うくなると、第3代リッチモンド公は、軍をアメリカからイギリスへ引き揚げるよう主張した。
 
第3代リッチモンド公はパリで大使を務めたほか、[[チャールズ・ワトソン=ウェントワース (第2代ロッキンガム侯)|ロッキンガム]]内閣のときに陸軍長官として入閣し、晩年にはイギリス陸軍元帥を務めた。ほかにも第3代リッチモンド公は様々な軍の役職を歴任したが、[[:en:Royal Horse Guards|近衛騎馬隊]]の指揮官もその一つである。
 
第3代リッチモンド公は政務を退くと、チチェスターでの隠居生活のためにグッドウッドの別荘と周囲の広大な敷地の整備を行った。別荘の設計を任されたのが有名建築家の[[:en:James Wyatt|ジェームズ・ワイアット]]で、競馬場の整備を依頼されたのが遠縁にあたる<ref>3代リッチモンド公の叔母マーガレットが、ベンティンクの曽祖父の弟の妻である。</ref>[[ジョージ・ベンティンク]]だった。この競馬場で第3代リッチモンド公は[[サセックス]]在住の軍関係者から会員を募り、競馬を行った。これが[[グッドウッド競馬場]]である。競馬場や敷地はその後も代々受け継がれ、現在の第10代リッチモンド公が近年改革を行っている<ref>[http://www.goodwood.co.uk/goodwood-estate/why-we-exist/why-we-exist.aspx グッドウッド競馬場公式HP]では、第10代リッチモンド公による「マーチ伯爵(Earl of March)」としての署名を見ることができる。2013年12月28日閲覧。</ref>。
 
==脚注==