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[[秋田県]][[大館町]](現・[[大館市]])に生まれる。秋田県立大館中学校卒業後、[[小坂鉱山]]での勤務を経て、[[農商務省]]工業試験所に勤務した。[[1917年]]に上京。
 
[[1920年]]、[[松竹キネマ俳優学校]]に入学し、第1期生となった。同期生には[[伊藤大輔]]、[[鈴木伝明]]、[[澤村春子]]らがいる。翌年の[[野村芳亭]]監督『夕刊売』で映画デビューした。[[1923年]]の『現代の女性』で[[栗島すみ子]]と共演しており、『嘆きの孔雀』や『悲しき恋の幻想』などでも共演を果たしている。意志的で端正な二枚目俳優として注目を浴びた。[[1924年]]に幹部になり、[[柳さく子]]、[[五月信子]]、[[川田芳子]]、[[英百合子]]ら当時の看板女優と多く共演した。『悩ましき頃』『妖刀』などに主演したが、その後は脇役が多くなる。それでも堅実な演技で松竹の中心俳優として活躍した。蒲田撮影所時代で130本以上の作品に出演しており、撮影所が[[松竹蒲田撮影所|蒲田]]から[[松竹大船撮影所|大船]]に替っても、幹部俳優として活躍を続けた。
 
[[1934年]][[3月16日]]、麻雀クラブ「天鳳」、「千山閣」で賭け麻雀をしていたとして[[広津和郎]]、[[東郷青児]]らが検挙される事件が発生し、翌日の午前、[[筑波雪子]]、[[飯田蝶子]]らが逮捕され、同日午後に奈良も検挙された。
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== 外部リンク ==
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0313150.htm 日本映画データベース「奈良真養」]
 
{{DEFAULTSORT:なら しんよう}}
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:1896年生]]
[[Category:1977年没]]
[[Category:秋田県出身の人物]]
[[Category:サイレント映画の俳優]]