「エルンスト2世・レオポルト (ヘッセン=ローテンブルク方伯)」の版間の差分
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1725年に父が死ぬと、[[ヘッセン=カッセル方伯領]]の分封領「ローテンブルガー・クヴァルト(Rotenburger Quart)」のローテンブルク地域を相続した。ヘッセン=ローテンブルク方伯家の当主だった間に、エルンスト2世レオポルトはブルーメンシュタイン(Blumenstein)にヴィルデックの狩猟用城館を建設した。また、[[1739年]]には領地内に[[ユダヤ]]教徒のための学校と墓地を建設することを認可し、ローテンブルクのユダヤ人共同体の形成を基礎を作った。エルンスト2世レオポルトは、宗主であり本家の[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン=カッセル方伯]]家やローテンブルガー・クヴァルトの等族達とは概ね良好な関係を保ったが、保守的なクヴァルトの官吏とは対立していた。
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