「エルンスト2世・レオポルト (ヘッセン=ローテンブルク方伯)」の版間の差分

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ないちn'''エルンスト2世レオポルト'''('''Ernst II. Leopold von Hessen-Rotenburg''', [[1684年]][[6月15日]]、[[バート・シュヴァルバッハ|ランゲンシュヴァルバッハ]] - [[1749年]][[11月29日]]、[[ローテンブルク・アン・デア・フルダ|ローテンブルク]])は、[[ヘッセンの統治者一覧|ヘッセン=ローテンブルク方伯]](在位:[[1725年]] - 1749年)。ヘッセン=ローテンブルク方伯[[ヴィルヘルム1世 (ヘッセン=ローテンブルク方伯)|ヴィルヘルム1世]]とその妻のエレオノーレ・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローヒェフォルトの間の第8子、長男。
 
1725年に父が死ぬと、[[ヘッセン=カッセル方伯領]]の分封領「ローテンブルガー・クヴァルト(Rotenburger Quart)」のローテンブルク地域を相続した。ヘッセン=ローテンブルク方伯家の当主だった間に、エルンスト2世レオポルトはブルーメンシュタイン(Blumenstein)にヴィルデックの狩猟用城館を建設した。また、[[1739年]]には領地内に[[ユダヤ]]教徒のための学校と墓地を建設することを認可し、ローテンブルクのユダヤ人共同体の形成を基礎を作った。エルンスト2世レオポルトは、宗主であり本家の[[ヘッセン=カッセル方伯領|ヘッセン=カッセル方伯]]家やローテンブルガー・クヴァルトの等族達とは概ね良好な関係を保ったが、保守的なクヴァルトの官吏とは対立していた。