「紫原政文」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
46行目:
ところが、競輪学校の卒業式が終わり、他の生徒はその後地元へと戻る中、たまたま中野が、1988年の[[日本選手権競輪]]へ向けて、競輪学校で合宿練習に入っていたこともあり、紫原がじきじきに、「これからどうしましょう?」と中野に尋ねたところ、「いいからこのまま残って俺たちと一緒に合宿に入れ!」という指示を受け、その後1週間ほど中野らと共に練習を重ねたという。
すると、上述の通り、紫原は新人王を獲得したばかりでなく、現在もS級トップクラスの選手として活躍を続けているが
したがって師匠である中野もまた、努力することがいかに大事かということを、弟子の紫原の活躍を通じて改めて認識させられたという。
|