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== 歴史 ==
=== ツァリーツィン ===
[[ロシア帝国]]の南の国境にあたっていたため、[[1589年]]に[[タタール]]の襲撃に備えて築かれた''Sary Su''要塞(地元の[[タタール人]]の言葉で「黄色い水」の意味)が町の始まりである。すぐに交易拠点として発展を始める。「Sary Su」の音から転じ、「女帝のもの」を意味するツァリーツィンの名がついた。<!--女帝({{Lang|ru|Царица}})の物主形容詞。-->[[1670年]]([[スチェパン・ラージン]])、[[1774年]]([[エメリヤン・プガチョフ]])と2度、[[コサック]]の支配を経験する。
[[ロシア革命]]後の内戦では戦場となる。[[1918年]]、[[ボリシェヴィキ]]軍が制圧するが、[[アントーン・デニーキン]]の[[白軍]]の攻撃にさらされる
=== スターリングラード ===
[[ファイル:Ruins of mill Volgograd.jpg|thumb|250px| [[ソビエト連邦]]の工業化政策のもとで、南ロシアにおける重要な[[工業|重工業]]都市に発展したスターリングラードは、[[1942年]]夏に[[ブラウ作戦]]によるドイツ軍の包囲を受けて、半年以上にわたる[[スターリングラード攻防戦]]の舞台となった。戦闘により街は荒廃し人口も激減したが、激戦を戦い抜いたスターリングラードは戦後「[[英雄都市]]」となり、現在も市の紋章には金星章が描かれている。激戦地を望む[[ママエフ・クルガン]]に多くの記念碑が建てられた。また[[イギリス]]の[[コヴェントリー]]を皮切りに[[広島市|広島]]など戦火に見舞われた都市と姉妹都市を結んでいる。▼
{{Main|スターリングラード攻防戦}}▼
反革命勢力に対する勝利に貢献したため、また[[ロマノフ朝|旧帝国]]に関する名称を廃止する方針のため、[[1925年]]に[[ヨシフ・スターリン]]にちなんでスターリングラードと命名された。スターリングラードは、[[ソビエト連邦]]の工業化政策のもとで、南ロシアにおける重要な[[工業|重工業]]都市に発展した。
▲<!--{{Main|スターリングラード攻防戦}}-->
▲[[
=== ヴォルゴグラード ===
[[1961年]]、[[ニキータ・フルシチョフ]]による[[スターリン批判]]の流れの中で、都市名は「ヴォルガの町」を意味する現在のヴォルゴグラードへと再度改められた。しかし、ロシア国内で市名復活を求める署名活動が行われるなどの動きもあり、スターリングラード攻防戦終結70周年にあたる2013年[[1月31日]]、市議会は[[8月23日]]の[[スターリングラード攻防戦]]開始日、[[2月2日]]の[[スターリングラード攻防戦]]終結日、[[5月9日]]の[[ヨーロッパ戦勝記念日]]、[[9月2日]]の[[対日戦勝記念日]]、[[6月22日]]の[[バルバロッサ作戦]]開始日、[[11月19日]]の[[ウラヌス作戦]]開始日等の記念日に限定して市名をスターリングラードに戻すことを決定した<ref>{{Cite news
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013020200208
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