「木村庄之助 (27代)」の版間の差分

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[[1971年]]暮れに起きた[[行司]]の[[ストライキ]]事件の後、当時の[[出羽ノ花國市|武藏川]][[理事長]]によって導入された行司の抜擢制度によって、[[1974年]]1月に先輩の三役格行司([[式守伊之助 (24代)|3代木村正直]]、[[式守伊三郎 (2代)|2代式守伊三郎]])をごぼう抜きし、48歳の若さで[[立行司]]に昇格、23代[[式守伊之助]]襲名。
[[1976年]]11月場所後[[木村庄之助 (26代)|26代庄之助]]が[[停年]]となったが、23代伊之助の昇格は見送られる。5場所の間1人立行司を務めた後の[[1977年]]11月に51歳の若さで27代庄之助に昇格した。伊之助在位は2324場所。[[1990年]]11月場所後停年。最後の[[取組]]は[[横綱]][[北勝海信芳|北勝海]](現[[八角 (相撲)|八角]])-同[[旭富士正也|旭富士]](現[[伊勢ヶ浜|伊勢ヶ濱]])。庄之助の在位期間7973場所と立行司在位97場所は行司[[停年]]制実施以降では最長で、庄之助として通算1185番を裁いた。停年退職後は[[ダテ企画]]に所属していた。
 
独特の掛け声'''「腰を下ろして、待ったなし!」'''、'''「はっけよいなかっと! なかっとなかったかっと!」'''('''「ハッキョーイダガット! ダガットダガダガット!」'''とも聞こえる)が特徴で、土俵裁きも明確そのものであった。