「ドナルド・マクドナルド・ハウス」の版間の差分

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入院患者の世話は、従来、家族や家族によって雇われた付き添い人(職業介護人)によって行われていたが、[[1950年]]([[昭和]]25年)に「完全看護制度」([[1958年]](昭和33年)に「基準看護制度」に改称)が試行され、[[看護]]は看護職員(現在では[[看護師]])が行う、という職業分離が導入された。しかし、看護職員数の不足から院内での家族や職業介護人による看護が続いていた。[[1994年]]([[平成]]6年)に「新看護体系」が創設されると、[[1997年]](平成9年)には全病院で家族・職業介護人の看護が廃止された。しかし、看護師不足によって病児看護の家族負担はなくならず、結果、院内で簡易ベッドや病児のベッドで[[添い寝]]して無料で宿泊しながら看護していた家族・職業介護人が、看病のために病院周辺の有料施設に宿泊しなくてはならなくなり、病児の[[医療費]]の他に、宿泊のための多大な出費を強いられることになった。
 
この家族・職業介護人の宿泊市場には、[[1990年]]前後からホスピタル・ホスピタリティ・ハウスが各地で参入する<ref>[http://jhhh.jp/care/3.html ホスピタル・ホスピタリティ・ハウスの歴史](JHHHネットワーク)</ref>一方、一般のホテルも進出した。例えば、[[聖路加国際病院]]が隣接地に[[聖路加ガーデン]]を建設し、東京[[阪急阪神ホテルズ|新阪急ホテル]][[築地]](現ホテル名は銀座クレストン)が入居して1994年(平成6年)[[9月1日]]に開業している。
 
このような中、[[国立成育医療センター]]([[2002年]][[3月1日]]設置)が東京に建設されるのを契機に、当時の国立大蔵病院長(国立成育医療センターは国立大蔵病院の敷地内に建設されることになっていた)がハウスを同センター近くに設置したいと考え、[[1996年]](平成8年)[[12月]]に[[日本マクドナルド]]社の当時の社長であった[[藤田田]]に要請した。同社は、[[1999年]](平成11年)[[4月]]の認可を得て[[財団法人]]ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン・デン・フジタ財団を設立し<ref>[http://www.mcdonalds.co.jp/company/outline/enkaku.html 沿革]([[日本マクドナルド]])</ref>、同財団が運営する形で第1号のハウスが東京都世田谷区に建設された。なお、[[2006年]](平成18年)[[1月]]に同財団は現称に改められた。