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Ikedat76 (会話 | 投稿記録)
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==輩行名とは==
「輩行」とは「一族のうち同世代の者」という意味で、通常は[[兄弟]]のことを言う。輩行名は「輩行」のうちの序列(=出生順)を表すもので、'''太郎、次郎、三郎……'''といった名のことであり、今日でも日本人の名前としても広く用いられる。また、「太郎、次郎……」といった風に、その前に1文字をつける場合も多い。2文字をつける例もある
 
これら太郎、次郎といった名乗りのはじまりは、遠く[[嵯峨天皇]]の時代に遡る。嵯峨天皇が第一皇子以下に対して太郎、次郎、三郎といった幼名を授けたことから、時代を追うつれ一般に広ま由来すようになる。とりわけ武士としては、源頼義の嫡男[[源義家|八幡太郎義家]]と名乗り、弟もそれぞれ[[源義綱|賀茂二郎義綱]]、[[源義光|新羅三郎義光]]等と名乗っているように、[[平安時代]]には既に武士階級に広まっている。太郎、次郎の名乗りは時代が下った後も武士階級、町人階級問わず広く用いられたが、武士階級が仮名なのに対して、[[諱]]を持たない町人の場合は正真正銘の本名として用いられた
 
これが時代を追うにつれ一般に広まり、成人男性の名前としてつけられるようになる。古来の中国においては、実名([[諱]] -いみな)で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が呼ぶ事は極めて無礼とされ、代わりに[[字]](あざな)と呼ばれる、本名とは別の名前を使った。日本においても中国のこの風習が伝来し(ただし異説もあるので、詳細は[[諱]]の項目を参照)、本名で呼ぶのを避け、代わりに仮名(けみょう)と呼ばれる通称を用いるようになった。この仮名として、輩行名が使われるようになった。
なお、太郎、次郎……という名は必ずしも出生順と一致せず、例えば[[宇喜多秀家]]は次男であるが「八郎」であったり、[[茶屋四郎次郎]]のように代々[[襲名]]される場合もあった(ちなみに「四郎次郎」は「四郎の次男」の意味である)。仇討ちで名高い[[曾我兄弟の仇討ち|曾我兄弟]]の場合は、兄の[[曾我祐成|祐成]]が十郎、弟の[[曾我時致|時致]]が五郎となっている。
 
嵯峨天皇の時代から100年ほど経った[[平安時代]]中期には、既に武士階級において、太郎、次郎の名乗りが広まっている。時代が下った後も武士階級、町人階級問わず広く用いられたが、武士階級が仮名なのに対して、諱を持たない町人の場合は正真正銘の本名として用いられた。ただ皆がこの名を用いると同姓同名が多く紛らわしくなるため、1文字あるいは2文字を付け加える場合もあった。[[源義家]]の八幡太郎、[[源義綱]]の賀茂二郎、[[源義光]]の新羅三郎などである。
 
なお、太郎、次郎……という名は必ずしも出生順と一致せず、例えば[[宇喜多秀家]]は次男であるが「八郎」であったり、[[茶屋四郎次郎]]のように代々[[襲名]]される場合もあった(ちなみに「四郎次郎」は「四郎の次男」の意味である)。仇討ちで名高い[[曾我兄弟の仇討ち|曾我兄弟]]の場合は、兄の[[曾我祐成|祐成]]が十郎、弟の[[曾我時致|時致]]が五郎となっている。また先に生まれた側室の子を差し置いて正室の子が太郎を名乗る場合も多く、例えば[[北条時頼]]の次男の[[北条時宗]]が「相模太郎」、長男の[[北条時輔]]が「相模二郎」を名乗っている。
 
==関連項目==