「オール与党」の版間の差分

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'''オール与党'''(オールよとう)とは、[[日本]]の、特に[[地方自治]]において、[[日本共産党]]以外の全ての国政政党が[[与党]]化する現象のこと。
 
== 地方自治体でのオール与党 ==
[[1980年]]の[[社公合意]]以降、[[自由民主党 (日本)|自主党]]・[[日本社会党#日本社会党 (1945-1996)|日本社会]]・[[公明党|公明]]・[[民社党|民社]]など[[日本共産党]]を除く全ての政党が地方自治体首長選挙において同一候補を[[推薦]]・支持する体制が常態化し、これは「オール与党・総与党体制」としてしばしば批判の対象となっている。国政政党野党が国政政党与党候補を支持すること「'''相乗り'''」と表現されることが一般的である。稀に、国政政党保守与党が国政政党革新野党候補を支持することもある。例として、滋賀県の[[武村正義]]、神奈川県の[[長洲一二]]、世田谷区の[[大場啓二]]などでは日本共産党が与党相乗り候補に相乗りして支援した。社会党や民社党が衰退し、民主党が第一野党になってからも続いていた。
 
2006年4月に[[小沢一郎]]が[[民主党代表]]に就任してから政令指定都市・都道府県の首長選挙で原則相乗り禁止の方針を打ち出した。このことによりオール与党体制は改善するとの見方もあった。しかし実際には、[[香川県|香川]]、[[愛媛県|愛媛]]、[[和歌山県|和歌山]]、[[福井県|福井]]、[[三重県|三重]]、[[奈良県|奈良]]、[[鳥取県|鳥取]]、[[島根県|島根]]、[[徳島県|徳島]]など、殆どの自治体で自公社と同一の候補を支援したり、「自主投票」として候補者を立てられないなど、方針は十分に実行されていかった(ただし、三重は前回独自候補として当選させた候補に、与党の側から乗って来たものである。しかし、徳島では前回民主などの推す現職が与党候補に敗れ、その後対立候補と協調路線を取った)。また、[[政令指定都市]]以外の市区町村については現在も相乗りが容認されている。対立候補を擁立できない原因は、現行の選挙制度では高齢批判や[[多選]]批判、大きなスキャンダルなどの無い現職候補に勝つのが難しいことが挙げられる。{{要出典範囲|政策面でも民主党と自公との対立は余り無く、採決や請願採択などの行動においてもほぼ同じなため、共産党など他の野党との共闘は進んでいない|date=2014年1月}}
 
2007年の[[愛知県]]知事選では民主は独自候補を擁立したものの、{{要出典範囲|[[日本労働組合総連合会|連合]]と共に共産の協力をみずから拒絶|date=2014年1月}}。共産に独自候補を擁立させた結果、僅差で与党候補に敗れた。一方、[[東京都]]では民主の支援する(公式な[[推薦]]・支持はしていない)候補への一本化を共産に期待する意見が見られたが、共産は候補者との路線の違いや、民主がオール与党体制に加わっていることなどを理由に、民主支援の候補を自民公明支援の候補と同列に批判した。結果として与党が事実上支援する現職が大勝した。このように野党間の政策・心理的開きが大きく、選挙によって各党の思惑が衝突するため、共産以外の野党にとってはオール与党体制に安住しやすい構造となっている。また、共産にとっても、オール与党批判によって一定の支持を確保できる現状があるため、ここでも他の野党との協力に抵抗が生まれる。
 
一方で2007年11月の[[大阪市長]]選では民主党等が推す新人候補の[[平松邦夫]]が自民党・公明党が推薦した現職候補の[[關淳一]]を大差で破ったように政権を狙う民主党側は自民・公明両党と距離を取る姿勢も示しているが、これに対して自民・公明両党は民主党が推薦した候補に後から推薦する方法(「京都方式」)を2008年[[京都市長]]選で採用しており([[大阪府知事]]選でも同様の方法が模索されたが結果的に両党は民主推薦の[[熊谷貞俊]]ではなく府連レベルで[[橋下徹]]を推薦・支持し大差で当選させ)、相乗りを温存しようとする姿勢は自民・公明両党には根強い。
 
2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]で民主党が大勝し、国政では民主党・社民党([[2010年]]に[[普天間基地移設問題|普天間基地問題]]で対立して下野)・[[国民新党]]が新たな与党となった。しかし、国政では野党となった自民党・公明党であるが、地方議会では依然として多くの自治体で主導権を握り、民主党も独自候補の擁立には消極的だった。そのため、地方での構図に大きな変化は無かった。
 
2000年代に行われた[[東京都知事選挙]]では、東京都の民主党は現職・[[石原慎太郎|石原]]都知事{{要出典範囲|自称「無党派」であるが|date=2014年1月}}自民党・公明党が支援している)の与党に準じる存在ではあるが独自候補を擁立するという構図となっており、[[土屋敬之]]など石原都知事に近い立場の民主党の議員が党が支援した候補ではなく石原都知事を支援するという姿が見られた。また、この時の東京都の民主党は選挙が終わると事実上の与党に復帰している<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-07-08/2009070803_01_0.html 都議会は自公民「オール与党」民主党 9999.3%3%賛成 どこからみても与党 2009年7月8日(水)「しんぶん赤旗」]</ref>。[[2012年]]石原の辞任により行われ都知事選では、民主党は独自候補を見送る一方、共産党、社民党、そして民主党を除籍(除名)された小沢一郎らの[[国民の生活が第一]]が共に同一候補を支持することになり、変則的ながら[[1987年]]以来の革新共闘の成立となった。
 
[[新党日本]]や[[自由連合 (政党)|自由連合]]など小政党は、地方自治体レベルの選挙では推薦・支持する候補を決定しない場合も多いが、野党候補が立候補していても自公推薦候補を支援することが多い。自由連合は、2006年に[[徳田毅|德田毅]]代表が自民入党の上自民の「友好団体」となることを表明し、名実共に与党化した(自由連合は2010年解散)。ただし、[[新社会党]]は、地方自治体の選挙では日本共産党が推薦・支持する候補を支援することが多い。
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例外として、[[沖縄県|沖縄]]では与野党相乗りが少なく、地域政党の[[沖縄社会大衆党]]が反保守共闘の中心になっている。そのため、オール与党体制とはなっていない。また、特殊な事例ではあるが、[[滋賀県|滋賀]]で2006年に行われた県知事選挙では[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]支持の[[嘉田由紀子]]が自民党・公明党・民主党が推薦する候補者を破った。
 
{{要出典範囲|地方議会で[[日本共産党|共産党]]を排除する談合体質が常態化したこと、共産党以外の政党が自公の政策にほぼ賛同するようになった結果、議会のチェック機能を果たせなくなり、財政赤字・[[談合|官製談合]]などの諸問題を放置することが多くなったと言われている。また、事前に選挙結果の予想がつくことが多いために住民の選挙に対する関心が低下し、相乗りが行われた都道府県知事選挙や市町村長選挙の[[投票率]]は、他の選挙と同時に行われた場合などを除いて低くなっている|date=2014年1月}}
 
==「相乗り」と「共闘」について==
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2007年には、[[渡辺恒雄]]の呼びかけにより、[[ねじれ国会]]となっていた中央政界を打開を目的に自民党総裁[[福田康夫]]と民主党代表小沢一郎との間で[[大連立]]に向けて党首会談が行なわれ、国会でのオール与党実現が検討された。
 
{{要出典範囲|2009年9月にかつての第一野党だった民主党中心の政権が発足(政権交代)して以降、民主党が安全保障問題、社会保障問題、税制問題、[[国民総背番号制]]、[[機密費]]公開問題などでかつての与党だった自民党に近い保守寄りの政策を打ち出す姿勢を見せたことで、民主党と自民党との間に政策の明確な対立軸が少なく無くなりつつあり、オール与党体制となりつつある|date=2014年1月}}
 
== 脚注 ==
<div class="references-small"><references /></div>
 
== 関連項目 ==
* [[大連立構想 (日本 2007)]]
* [[地方自治体]]
* [[無風選挙]]
* [[日本共産党]]
* [[オール野党]] - 議会の全て、少なくとも多数が野党になっている状態
* [[信任投票]] - 首長選挙において「オール与党推薦候補」対「共産党推薦候補」の場合、事実上信任投票となる
* [[大政翼賛会]]
 
[[Category:日本の政党政治|おおるよとう]]