「第一次チェチェン紛争」の版間の差分
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==経過==
ロシアは数的有利を生かし、地上部隊を派遣するもその部隊のほとんどは徴兵されてまもない新兵ばかりであった、これは旧ソ連が崩壊した際に多くの兵士を解雇してしまったためと急を要した事態であったからである。そのため、兵器等の数的には有利ではあったもの戦力的にはほぼ同等、あるいはそれ以下であったと言える。また、航空部隊との連携はままならず、戦術的にはお粗末と言っても良いほどであった。更に皮肉なことに、チェチェン軍には旧ソ連軍出身者も多く、ロシア側の戦術や兵器を熟知していた。
その
ロシアが投入した[[BMD-1]]や[[BMP-1]]、[[BMP-2]]、[[BTR-60]]、[[BTR-70]]等の[[装甲兵員輸送車]]や[[歩兵戦闘車]]は[[RPG-7]]や[[RPG-18]]等の対戦車兵器に対して全くの無力であり容易に撃破された。また[[T-64]]や[[T-72]]、[[T-80]]の戦車も強力な戦車砲や車体正面・砲塔前面の複合装甲を持っていたものの、地下やビルの2、3階などから急に現れる対戦車班に主砲は対応できず、逆に装甲の薄い砲塔/車体の上部や燃料タンクを集中的に狙われ
ロシア軍はビルの2、3階から攻撃してくる対戦車班に対処するために、高仰角をとれる対空機関砲を装備した[[ZSU-23-4]]シルカや[[2K22]]ツングースカなどの[[自走式対空砲]]を歩兵部隊や戦車部隊の援護に投入し、戦果をあげ
== 脚注 ==
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