「資本論」の版間の差分

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労働価値説と分業について
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さらに、価値量を規定する労働時間は、その商品を生産するのに必要な個別的、偶然的な労働時間ではなく、社会的に必要とされる平均的労働時間である。たとえば、ある社会に、1日8時間労働で1着のシャツをつくる商品生産者Aと、1日8時間労働で7着のシャツをつくる商品生産者Bがいるとすれば、社会全体としては16時間労働で8着のシャツが生産され、平均すれば、1着あたりに2時間労働が費やされていることになる。商品生産者Aが手にするのは2時間労働分の価値、商品生産者Bが手にするのは14時間労働分の価値である。したがってよく誤解されるように、怠け者が得をするわけではない。
 
商品の[[価値]]は、その商品の生産に費やされる社会的に平均的な労働量によって決まる。これがマルクスが、アダム・スミスやリカードから受け継ぎ発展させた[[労働価値]]のあらましである。
 
しかし、商品は自らの価値を自分だけで表現することはできない。ある商品の価値量は、他の商品の使用価値量によって表現される。これが[[貨幣]]の起源である。商品社会で、ある一つの商品の使用価値量によって他のすべての商品の価値量を表現することが社会的合意となった場合、その特殊な商品が[[貨幣]]となるのである。貨幣商品の代表が[[金]](gold)であり、その使用価値量、すなわち重量が貨幣の単位となった。
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そこで、とられる第二の方法は、労働時間が一定ならば労働力の価値または賃金を減らすことである。先ほどの労働者の日払い賃金を1万円から5千円に半減させれば、剰余価値は2万円から2万5千円に増大する。これを[[相対的剰余価値生産]]という。しかし、無前提に労働力の価値を減らすことはできない。労働力の価値または賃金は、労働力商品の再生産費、つまり労働者とその家族の生活費によって決まっている。資本の側から一方的に賃金を減らすことは、労働者を生活不能にし、労働力商品の再生産を不可能にさせる。賃金労働者なくして資本は剰余価値生産できないから、短期的にはともかく長期的にはこのようなことは不可能である。ではどうするか。それは生産力の上昇によって可能となる。生産力を上昇させ、労働者の生活手段を構成する商品の価値が安くなれば、労働者の生活費も安くなり、労働力商品の価値が低下し、賃金を引き下げても労働力の再生産が可能となる。賃金を半減させるためには、生産力が二倍となればよいのである。個々の資本はより安価な商品を目指して生産力を上昇させるために、相互に競争している。この競争が諸資本を強制し、個々の商品を安くさせ、生活費を安くさせ、賃金を引き下げる前提を生み出している。
 
生産力を上昇させる手段には、[[協業]]、[[分業]]もとづく協業]]、[[機械制大工業]]があり、マルクスはそれぞれについて分析している。
 
日本資本主義における正社員の長時間過密労働は絶対的剰余価値生産の概念によって、非正社員の低賃金は相対的剰余価値生産の概念によって、よく説明することができる。
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表象された具体的なものの徹底的な分析から議論が進むため、マルクスの生活当時の生活必需品や様々なものの価格の記載が多く、当時の一般労働者の生活を伺う資料としても貴重である、という見方をする人もいる。(しんぶん[[赤旗]]連載、『資本論』ゼミナール参照)
 
2013年6月にはそのドイツ語版初版第1部が、1848年の『[[共産党宣言]]』の草稿と共に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界の記憶]]に登録された。<ref>[http://www.unesco.de/8005.html Schriften von Karl Marx: "Das Manifest der Kommunistischen Partei" (1848) und "Das Kapital", ernster Band (1867)]</ref>
 
== 参考文献 ==