「連合軍軍政期 (ドイツ)」の版間の差分

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=== フランス占領区域 ===
フランスは連合国の有力な一員であったが、伝統的なドイツとの対立関係と、「フランスは軍事的貢献度が少ない」という[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の反対意見により、最初は駐屯の予定がなかった。しかし、結局、アメリカ、イギリス両国がフランス国境に面した、隣接しない2つの小さな区域をフランスに割り振ることに同意した。[[フランス軍]]政当局は[[バーデンバーデン]]に置かれた。
 
フランスは大戦中からドイツの弱体化を強く主張しており、1946年に発表した[[モネ・プラン]]はドイツ重工業の発展阻害とフランス重工業再建のための資源供給を意図し、[[ライン川]]以西のドイツ領内を統制しようと試みた。また、ルール地方の国際管理、ラインラントの併合なども主張している。さらに[[ザールラント州|ザールラント]]を自国に併合する要求を行っており、米英も容認する動きを見せたが、ソ連の強い反対で併合は実行されなかった。1945年7月にフランス軍はザールに進駐し、アメリカ軍から占領行政を引き継いでザール独自の軍政を開始した{{sfn|宮崎繁樹|1958|pp=86}}。1947年12月31日、ザールの軍政はいち早く終結し、フランスの軍司令官から権限を与えられた高等弁務官が統治を行う民政が敷かれた([[ザール (フランス保護領)]])。フランスはザールと関税同盟を締結し、フランスの経済圏にザールを吸収しようとした{{sfn|宮崎繁樹|1958|pp=95}}。