「ニコラウス・アーノンクール」の版間の差分

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[[1970年代]]からは[[チューリッヒ歌劇場]]をホームグラウンドとして[[オペラ]]にも取り組むようになり、[[ジャン=ピエール・ポネル|ジャン=ピエール・ポネル]]が演出した[[クラウディオ・モンテヴェルディ|モンテヴェルディ]]と[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の一連のシリーズで世の注目を浴びた。
 
[[1980年代]]からは古楽オーケストラにとどまらずモダン・オーケストラも指揮するようになり、近年では[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団|ベルリン・フィル]][[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団|ウィーン・フィル]]([[2001年]]および[[2003年]]の同団[[ニューイヤーコンサート]]を指揮)、[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団]]などのクラシック界の保守本流と目される有名オーケストラや[[ヨーロッパ室内管弦楽団]]への客演が大幅に増えも多く、レパートリーも古楽系のものにとどまらず、[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]まで振るようになっている。
 
アーノンクールはグラーツを舞台とする音楽祭、シティリアルテ音楽祭を主催しており、[[1990年代]]までは[[ザルツブルク音楽祭]]にも出演していた。その後同音楽祭への出演はしばらく途絶えていたが、[[2002年]]にモーツァルトの『[[ドン・ジョヴァンニ]]』と[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の『[[交響曲第9番 (ブルックナー)|交響曲第9番]]』(作曲者の死により未完に終わった第4楽章のフラグメントも解説付きで演奏するという意欲的な試みがなされた)を指揮して復帰を果たす。今後毎年にわたって同音楽祭でのモーツァルトの新演出のオペラを指揮する事が予定されている
 
[[1980年代]]より、[[ヨハン・シュトラウス]]に強い関心を示し、再三の実演に加え、ワルツ集や『こうもり』『ジプシー男爵』をスタジオセッションで録音。[[カラヤン]]と[[カルロス・クライバー]]亡きあと、彼のクラスでこの分野に情熱を注ぐ指揮者は珍しい<ref>日本のレコード芸術誌が1968年以来数回おこなっている指揮者ベストテン企画に入選した中で、シュトラウスのワルツ集とオペレッタ全曲をともにレコーディングしているのは、カラヤン、カルロス・クライバー、アーノンクールとカール・ベームだけである。ちなみに、この4人は全員ウィーン以外の生まれ(二人はベルリン生まれ)である。</ref>。