「栃赤城雅男」の版間の差分

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中学では水泳部、[[群馬県立沼田高等学校|群馬県立沼田高校]]では柔道部に所属し、高校時代は[[国民体育大会]]に群馬県代表として出場したこともあった。柔道での活躍が[[春日野]]親方(元[[横綱]]・[[栃錦清隆|栃錦]])の目に留まり再三勧誘され、高校卒業直前に、春日野部屋へ入門することとなった。
 
[[1973年]]1月場所にて、18歳で[[初土俵]]。翌3月場所、「金谷」の四股名で[[序ノ口]]に付き、それから僅か1年半ほどで[[幕下]]に昇進した。
 
なお、「栃赤城」の名は、故郷の名峰・[[赤城山]]に因んだものである。
 
幕下上位の壁に一度は跳ね返されたものの、[[1976年]]11月場所で[[十両]]に昇進。