「スラヴ人」の版間の差分

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[[移住]]先では元々の在来の住民と混交する形で言語的にも文化的にも、次第に現地住民を同化しつつ、在来の住民と相互に影響を与え合う形で発展していった。特に[[オスマン帝国|トルコ]]の支配を受けた[[南スラヴ人]]については、スラヴ人の移住以前からのバルカン半島の土着的な要素に加えて、オリエンタル地域に由来する文化も持ち合わせている。「ブルガリア」の名前は中世のテュルク系遊牧民であった[[ブルガール人]]に由来しており、ブルガール人は彼らが支配する[[第一次ブルガリア帝国|ドナウ・ブルガール・ハン国]]で多数派であったスラヴ人と同化して[[ブルガリア人]]となった。
 
一方、[[西ヨーロッパ]]においても少数ながらスラヴ民族が現在も住居している。特に[[ドイツ]]東部においては、古来よりポーランドとの国境付近には[[ドイツ人]]と[[ポーランド人]]との混血集団である[[シレジア]]人を始め、[[エルベ川]]東部にもスラヴ系集団が住居し、現代に至るまで[[ドイツ人]]と共存、発展してきた歴史を持つ。現在もドイツ東部には[[ソルブ人]]が住居している。また中世以来の古い家系でありながらスラブ系やスラブ系由来の姓を持っているドイツ人は多数いる。
 
なお、スラヴ人の中で最大の民族集団である[[ロシア]]の[[語源]]については、いくつか説はあるが、現代のウクライナの首都、[[キエフ]]を中心とした[[キエフ大公国|キエフ・ルーシ]](キーフルーシ大公国)の国号からとられたとも言われている。この「ルーシ」をギリシャ語読みすると「ロシア」となる。本来、地理的にキーフルーシがルーシ(ロシア)の名を引き継ぐべきところであるが、歴史的に[[モンゴルのルーシ侵攻|モンゴル支配]]以降、急速に台頭してきた新興国家[[モスクワ公国]](キーフルーシの一構成国でのちにロシア帝国となる)に「ロシア」の主導権を握られ、先を越された感がある。なお、キーフルーシはその後ロシア帝国の一構成集団として取り込まれていった後、[[ウクライナ]]として現代ロシアとは別の国家として存続している。