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'''リッキー・マルビン'''(Ricky Marvin、男性、[[1980年]][[1月8日]] - )は、[[メキシコ]]の男性[[プロレスラー]]。本名は'''リカルド・フエンテス・ロメロ''' (Ricardo Fuentes Romero)。[[ベラクルス州]]出身。かつて[[CMLL]]と[[プロレスリング・ノア]]に所属していた。現在は[[フリーランス|フリー]]。
 
== 来歴 ==
祖父([[エル・ゲレーロ]])、父(アリアス)、弟([[ロッキー・マルビン]])ともプロレスラーという[[ルチャリブレ|ルチャドール]]一家に生まれる。[[1995年]]5月9日、[[エル・サント]]戦で'''ホワイト・デモン'''('''White Demon''')としてデビュー。[[1998年]]にCMLL入り。
 
[[2000年]]、[[みちのくプロレス]]や[[DDTプロレスリング]]、[[闘龍門]]に参戦し、[[女子プロレス]]の[[アルシオン]]にもライセンスナンバー38として参戦した。また、[[セコンド]]として[[パンクラス]]にも姿を見せている。この時は[[リッキー・マーティン]]を模した「空飛ぶジャニーズ」と評される色男[[ギミック (プロレス)|ギミック]]だった。
 
[[2003年]]にCMLLを退団、[[プロレスリング・ノア]]に参戦。2003年から[[2006年]]にかけて、[[フベントゥ・ゲレーラ]]や[[鈴木鼓太郎]]、[[SUWA]]をパートナーに[[GHCジュニアヘビー級タッグ王座]]に5度挑戦しいずれも敗れたが、[[2007年]]1月21日、6度目の挑戦でついに第6代GHCジュニアヘビー級タッグ王者となった(パートナーの鈴木鼓太郎も4度目の挑戦だった)。[[2005年]]にCMLLに復帰したが同年の4月2日には選手会興行にも名を連ね、[[タイガー・エンペラー]]と[[マスク]]と頭髪を賭けて戦ったが(マスカラ・コントラ・カベジュラ)敗北し、丸坊主になった。
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[[ムシキング・テリー]]のライバル[[ムシキング・ジョーカー]]の正体ではないかと噂されているが、真相は不明である。ただ、ジョーカーの試合ではスペイン語で時間経過のアナウンスが入り、ノア所属外国人の中で母語がスペイン語であるのはマルビンのみである。他にも[[プロレスリングZERO-ONE|ZERO-ONE]]に参戦したブラック・エンペラーもマルビンの説がある。
 
[[2007年]]には[[ROH]]、[[DRAGON GATE]]、[[2009年]]には[[佐々木健介]]の[[ダイヤモンド・リング (プロレス)|ダイヤモンド・リング健介オフィス]]自主興行、[[2011年]]には、[[新日本プロレス]]、[[全日本プロレス]]、ダイヤモンド・リング、[[2012年]]には、ダイヤモンド・リング、[[TAJIRI]]の[[Wrestling New Classic]]に参戦。
 
[[2013年]]1月6日、[[プロレスリング・ノア]]所属としてのラストマッチを行う。
 
== リングネーム ==