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{{出典の明記|date=2012年1月}}
'''経済成長理論'''(けいざいせいちょうりろん)は、[[国民経済]]もしくは[[世界経済]]の[[経済成長]]についての動態、その要因の分析、説明、を行う[[マクロ経済学]]の一分野。経済学の主要分野であり、[[ロバート・ソロー]]、[[ロバート・ルーカス (経済学者)|ロバート・ルーカス]]、[[チャリング・クープマンス]]など[[ノーベル経済学賞]]受賞者を多数輩出する。
 
== 概要 ==
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もっとも、重商主義者の議論は自らが行った商業を中心に構築され、[[貨幣]][[フローとストック (経済学)|ストック]]を国家の[[富]]と考える発想であった。またこの議論においては、労働者は消費活動を行ったり富を享受する主体ではなく、生産の一要素のように認識されていた。
 
こういった[[誤謬]]から抜け出し、現代的な経済成長、すなわち富を[[フローとストック (経済学)|フローの概念]]で捕らえ、その増加量を経済成長として捕らえたのは最初の人物としては[[リチャード・カンティロン|カンティロン]]を挙げることができる。彼は、土地と労働により構成される二部門の均衡モデルを構築した。
 
=== スミス以降の成長理論 ===
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マルクスの考察は、リカードの影響を受けたものであったが、その分析はかなり拡大されていた。[[資本論]]の中で、彼は再生産表式というものを提示したが、これは多部門の成長理論の最初のものの1つであった。彼は長期の安定的成長の実現は難しく、それが資本主義経済の恐慌の原因になること、利潤率が長期には低下傾向にあることを示した。考察の対象は当時の経済学の水準からすると広範囲であったために、彼の成長理論は不完全なものに留まったが、後に[[森嶋通夫]]や[[ポール・サミュエルソン]]によって再検討が行われている。
 
マルクス以降、限界革命以降の経済学者は[[アルフレッド・マーシャル]]の若干の修正を除けば成長理論について言及をあまり行わなかった。19世紀後半の非主流の歴史学派の議論や20世紀初頭の[[ヨーゼフ・シュンペーター]]の議論は注目に値するが、主たる成長理論は次に示すような新古典派、ケインズ派の経済成長理論として改めて発展することになった。
 
== 主要な経済成長理論 ==
=== ハロッド・ドーマーモデル ===
[[ロイ・ハロッド|ハロッド]]と[[エブセイ・ドーマー|ドーマー]]により1930年代から40年代にかけて発表されたモデル。経済の自律的な安定を確保する難しさを例示するなど、[[ケインズ]]経済学|ケインズ理論]]の影響を強く受けた経済成長モデルである。いわゆる動学理論とよばれるものである。
 
このモデルの一番の特徴は、[[投資]]の生み出す供給能力と、需要それぞれの増加量とが安定的に調和するような''保証経済成長率'' (資本の増加率)が、完全雇用をもたらすような''自然経済成長率'' (労働力の増加率)と別個に規定され、その関係が自律的に均衡に向かわないと仮定することにある。両者の不均衡は慢性的な経済の停滞やインフレを導くもとと結論づけられた。安定的な成長率の実現は非常に困難で、ナイフ・エッジの均衡とも呼ばれる。また、保証成長率は貯蓄率に影響するものと定義された。
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=== ソロー・スワンモデル ===
[[ロバート・ソロー]][[トレイヴァー・スワン]]が1956年に提唱した成長モデルの1つ、生産関数の考え方、その導き出す結論が[[新古典派]]の思想に共通することから、新古典派成長モデルとも呼ばれる。
 
基本的なアイディアは、資本の増加が人口増加を上回った際に、資本1単位あたりの生産効率がだんだん下がる(資本量が2倍になっても生産は2倍にはならず、1~21-2倍の範囲内に収まる)ために、資本の増加量が鈍化し、人口増加率に追いつき、逆に人口増加が資本の増加を上回った場合には資本1単位あたりの生産効率が上昇するために資本増加率は人口増加率に追いつくというものである。一時的なショックにより資本と人口の増加率が乖離しても、長期的な資本の増加は人口増加率に収束し、資本をより効率的に使えるような新技術の登場がない限りは一人当たりの国民所得は増加しないという結論を導いた。
 
成長理論の雛型として教科書に登場する非常に簡単なモデルであるにも関わらず、依然として経済成長の分析に多様されている。最も良くみられる分析は、経済成長の要因を資本、労働、技術進歩の各要因に分解することである。こうした分析は、アラモビッツやソローによって始められた、成長会計と呼ばれる手法である。技術進歩率は経済成長を資本と労働の寄与で説明した残りとして求められるため、ソロー残渣と呼ばれることもある。
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多部門モデルは、第二次世界大戦後、サミュエルソン、森嶋らの努力によって改良が加えられた。サミュエルソンの見出した[[ターンパイク定理]]はとりわけ有名な発見である。
 
=== [[内生的成長モデル]] ===
1980年代ころから盛んに研究が行われるようになったモデルで、従来の成長モデルが技術進歩の要因を説明できなかったのに対し、技術進歩を経済活動の成果として取り込んだ事が大きな特徴である。[[1986年]]に[[ポール・ローマー]]が発表した論文「increasing return and long-run growth」(経済学のジャーナルである『journal of political economy』に掲載)が契機となり、内生的成長理論が発展していった。
 
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== 関連項目 ==
*[[経済成長]]
*[[マンデルフレミングモデル]]
 
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