「ウィリアム・クリスティ (天文学者)」の版間の差分

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'''ウィリアム・クリスティー'''(Sir William Henry Mahoney Christie 、[[1845年]][[10月1日]] - [[1922年]][[1月22日]])はイギリスの天文学者。1881年から1892年の間、[[グリニッジ天文台]]の台長(王室天文官)を務めた。
 
[[ウーリッチ]]に生まれた。[[ケンブリッジ大学]]の[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティ・カレッジ]]で学び、1870年からグリニッジ天文台で働き、1881年[[ジョージ・ビドル・エアリー|ジョージ・エアリー]]の後を継いで、台長になった。王室天文官の職を1910年まで続け、65歳で引退した最初の王室天文官となった(これまでのエアリーや[[ジョン・ポンド]]ら王室天文官はより高齢になってもその職にあった。クリスティが引退した理由は不健康と伝えられる<ref>{{Cite journal|和書|date=1910-11 |year=1910 |editor=[[日本天文学会]] |title=雑報 英國帝室天文家の交迭 |journal=天文月報 |volume=3 |issue=8 |page=97 |publisher=日本天文学会 |location=[[東京府]][[北多摩郡]][[三鷹市|三鷹村]] |issn=0374-2466 |id={{NCID|AN00154555}}、{{NDLJP|3303875}} |url= http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1910/pdf/191011.pdf |format=PDF |accessdate=2014-01-17}}</ref>)。クリスティーの時代にグリニッジ天文台は[[位置天文学]]だけでなく、天体の写真観測や太陽活動の観測を行うようになった。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
{{先代次代|[[グリニッジ天文台|グリニッジ天文台長]]|1881 - 1910|[[ジョージ・ビドル・エアリー]]|[[フランク・ダイソン]]}}