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== 上条堰の開発 ==
[[File:Matsuo Shrine Kai City.JPG|thumb|250px|甲斐市中下条の松尾神社]]
こうした歴史的景観から上条堰の流路には古くからの定住痕跡が想定されているが、上条堰に関する最古の文献史料は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[元亀]]3年([[1572年]])3月26日付武田家朱印状<ref>石原家文書に拠る。石原家文書には当文書のほか武田氏朱印状、[[徳川家康]]朱印状などを含み、武田氏の[[被官|被官衆]]であったと考えられている。</ref>によれば上条堰の破損に際して牛久・中下条・大下条・天狗沢・宮地・下方の6郷に対して井堰の再興が命じられており、この段階で井堰が開発され利用されていたことが確認される。また、元亀3年武田家朱印状からは武田氏により把握された6郷が共同して井堰の管理・維持を行っている慣行がわかり、戦国期の[[治水]]が大名権力によるものだけではなく、地域社会によって担われていた点が注目される。