「アルハンブラ宮殿」の版間の差分

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ムハンマド5世没後、ナスル朝はおよそ100年間存続するが、新たな建造物はほとんど建てられなかった。
 
1492年、[[カトリック教会|カトリック]]の[[レコンキスタ]]によって[[グラナダ]]が陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。グラナダがキリスト教徒の手に渡った直後に、[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス5世]]がこの地を[[避暑地]]として選び、カルロス5世宮殿を建設。当時イタリア留学であった[[ペドロ・マチューカ]]が、正方形の建物の中央に、円形の中庭を設けるという設計をし(現在も未完成)、スペインにおける純イタリア様式の成功傑作と称されている。
 
[[スペイン]]は、この地を[[1718年]]まで城代に管理を任せていたが、カルロス1世([[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]])の時代に入ると、この宮殿を自らの[[帝国]]の支配の中心地にする考えを持っていたと言われており、いくつかの改築が行われている。カルロス5世の噴水や、カルロス5世の宮殿の建設が始まり(宮殿は完成することはなかった)、モスクは[[教会]]へ変えられ、礼拝堂や[[修道院]]が建築されている。