「カトリック連盟」の版間の差分

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| [[1635年]][[3月30日]]: [[プラハ条約 (1635年)|プラハ条約]]
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'''カトリック連盟'''({{lang-de|Katholische Liga}}、'''リーガ''')は、[[神聖ローマ帝国]]において、[[1609年]][[7月10日]]に[[プロテスタント同盟]]([[1608年]]結成、'''ウニオン'''、'''ウニオーン''')に対抗し、『カトリック信仰の防衛と帝国の平和』を旗頭に結成された[[カトリック教会|カトリック]]系[[領邦国家]]による同盟。[[フランス王国|フランス]]における[[カトリック同盟 (フランス)|カトリック同盟]]に範をとったが、同同盟ほどに剛直ではなく、当初はプロテスタント同盟の政治的対抗組織として活動した。
 
しかしながら、住民レベルにおけるカトリック・プロテスタント両教徒の対立が高まるようになり、遂には、[[1618年]][[5月23日]][[プラハ窓外投擲事件#第二次プラハ窓外投擲事件|プラハ窓外投擲事件]]が発生、両者の対立は頂点を迎え、[[三十年戦争]]の第一段階であるボヘミア・プファルツ戦争へと至る。