「北条時遠 (左近大夫)」の版間の差分

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'''北条 時遠'''(ほうじょう ときとお、生没年未詳)は、[[鎌倉時代]]の武士。
 
正宗寺本北条系図は左近将監の官にあったと記述するが、この系図で時遠が左近将監の官にあったとされる時期には既に[[北条時仲]]が左近将監の官にあった(1257年 - 1261年)ため、誤謬とみなされている。しかし、1261年以降、時遠が左近将監を名乗った可能性は考えられるという。桓武平氏諸流系図は「時方」、野津本北条系図は時村及び時方という別名ありと伝えているが、野津本北条系図、正宗寺北条系図など、多数の史料の表記を採用し、時遠の名で呼ばれる。父朝直が建立した[[悟真寺]]に土地を寄進している。
 
『[[続拾遺和歌集]]』に歌が採録されていると『[[群書類従|続群書類従]]』所収の「北条系図」に表記されているが、これは同名の人物である[[北条時直]]の子時遠との混同であると指摘されている。