「ジョルジュ・ソレル」の版間の差分

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一方、ソレル自身はあくまでマルクス主義理論家であった。ソレルは[[イタリア]]のマルクス主義の父[[アントニオ・ラブリオーラ]]と親交を持っていて、[[フランス語]]に翻訳された「歴史の唯物論概念」についてのラブリオーラの[[エッセイ]]に序文を書いている。さらには主著の『[[暴力論]](『暴力に関する考察』) Reflexions sur la Violence, [[1908年]]』第五版の付録として、《[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]のために Pour Lenine 》という題の論文を書いて憲法制定会議をボイコットして[[社会主義]]を宣言したレーニンの行為を弁護し、[[ロシア革命]]をたたえている。
 
彼の著書は[[ヴィルフレド・パレート]]及び[[ベネデット・クローチェ]]に絶賛され、彼の思想は[[カトリック教会|カトリック]]・反民主主義の政治傾向(例えば[[カール・シュミット]]など)、特に[[ファシズム]]には絶大な影響を与え、[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]に「ファシズムの精神的な父」と呼ばれる。また、[[ヴァルター・ベンヤミン]]が著した『[[暴力批判論]]』はソレル『暴力論』の影響を受けている。
 
==邦訳==