「大田学」の版間の差分

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ヨモギ (会話 | 投稿記録)
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== エピソード ==
*真剣師だったときの思い出胸中に残る勝負として昭和30年代十二の勝負と言う現実離れした真剣を挑まれ、それに全勝した真剣勝負げている(賭け金は一局につき一万円。「十二層」とは、平手で指す代わりに、大田は一回勝つと一万円、相手は一回勝つ倍層と十二万円入る真剣独特のハンデのつけ方。これを十三局繰り返す)。この勝負の相手はかなり強かったらしく、大田をして「あとから考えたら、(棋力的に)せいぜい倍層がいいとこで、三層は出せん相手だった」と言わしめている。本人曰く「勝つには勝ったが、そのうち四番ぐらいは負け将棋だった。それをなんとか切り抜けられたのはつきがあったからで、運が良かったとしか言いようがない」と述懐している。(岡本嗣郎「9四歩の謎 孤高の棋士・坂田三吉伝」より)
*その棋力から30代半ばでプロへの転向も薦められるほどだったが、年齢的にも遅く大成しないだろうと自ら断った。
*プロ棋士とも付き合いがあり、特に真剣師からプロになった[[花村元司]]とは若い頃一緒の家に居候していたこともあるほど昵懇の仲であった。