「南スーダンクーデター未遂事件 (2013年)」の版間の差分

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リエック・マチャル
針槐蜂蜜 (会話 | 投稿記録)
停戦交渉の中でクーデター未遂で拘束した者の扱いが報道されましたので、正確性のタグを外しました。
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'''南スーダンクーデター未遂事件'''(みなみスーダンクーデターみすいじけん)は、[[2013年]][[12月14日]]以降に[[南スーダン]]の首都[[ジュバ]]で発生した武力衝突クーデター未遂事件。民族間の紛争にも発展し、[[民間人]]も含めた死者は首都[[ジュバ]]だけでも500人以上と推定されている<ref>{{Cite news
{{正確性|date=2013年12月|クーデターの企てが真実だったのか不明。したがって現在の記事名も不適当。}}
'''南スーダンクーデター未遂事件'''(みなみスーダンクーデターみすいじけん)は、[[2013年]][[12月14日]]以降に[[南スーダン]]で発生した武力衝突。民族間の紛争にも発展し、[[民間人]]も含めた死者は首都[[ジュバ]]だけでも500人以上と推定されている<ref>{{Cite news
|url=http://www.cnn.co.jp/world/35041626.html
|title=南スーダンの死者500人、政府は「秩序回復」と発表
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==概要==
2013年12月14日、首都ジュバにおいて[[スーダン人民解放軍]]の一部と大統領警護隊と衝突。衝突は、武力を背景にした政治闘争にとどまらず、[[サルバ・キール・マヤルディ|サルバ・キール]]大統領の出身部族である[[ディンカ族]]と[[リエック・マチャル|マシャール]]前副大統領の出身部族である[[ヌエル族]]の対立として表面化して、対立する部族間で住民が殺害される状況も生まれた。混乱は、[[ボー]]や[[トリット]]など地方都市にも波及し交戦状態も生じた。12月16日にサルバ・キール大統領は、衝突が同年7月に解任したマシャール前副大統領による[[クーデター]]であったことを公表。同月18日までに前閣僚を含めた関係者の逮捕を行い、首都の混乱は沈静化に向かった。マシャール前副大統領は、武力衝突を大統領警護隊内のすれ違いによるものであり、クーデターではないと発表したが、追求の手を逃れて国内に南部に潜伏したものと推測されている<ref>{{Cite news
|url=http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304273404579266991150305258.html
|title=南スーダン、戦闘やまず―首都では450人死亡
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|date=2013-12-19
|accessdate=2013-12-19
}}</ref>。
 
その後、軍部の一部の反乱は、南スーダン中部[[ジョングレイ州]]州都の[[ボル (南スーダン)|ボル]]や北部の[[ユニティ州]]のベンティウなど各都市でも発生、拡大。東アフリカ各国で構成される[[政府間開発機構]](IGAD)などが調停に乗り出し、[[2014年]]1月23日、[[エチオピア]]の[[アジスアベバ]]で停戦の調印が行われた。この際の合意文書の中で、マシャール前副大統領派によるクーデター未遂に関与したとして拘束した同派の11人を釈放することが盛り込まれている<ref>{{Cite news
|url=http://mainichi.jp/select/news/20140124k0000e030173000c.html
|title=南スーダン:政府と反乱軍が停戦合意
|work=毎日新聞
|newspaper=毎日新聞
|date=2014-01-24
|accessdate=2014-01-25
}}</ref>。