「バレーフォージ」の版間の差分

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イギリス軍は1777年9月にフィラデルフィアを占領したが、10月に[[サラトガ (ニューヨーク州)|サラトガ]]で[[ジョン・バーゴイン|バーゴイン]]将軍が降伏したために、新たな作戦の展開が難しくなっていた。冬に入ると、大陸軍の方も積極的に打って出る作戦の実現性がほとんど消えてしまい、ワシントンは兵士達の宿営地を探した。幾つかの場所が提案され、フィラデルフィアから22マイル (35 km) 北西のバレーフォージが選ばれた。それは優れた選択であることがわかった。そこはバレークリークという川の畔にある鍛冶場にちなんで名付けられた場所で、イギリス軍に程々近いのでイギリス軍がペンシルベニア内部に攻撃や略奪を行うことに対する牽制ができた。さらにイギリス軍の急襲の恐れを少なくする程度には離れていた。ジョイ山とミザリ山の高台に位置し、北のスクーカル川と相まって、守るにはやさしい地形であった。
[[画像:Washington and Lafayette.jpg|right|thumb|250px|バレーフォージを巡回するワシントンと[[ラファイエット]]]]
[[12月19日]]、ワシントンの12,000名の軍隊は食料に乏しく、装備も満足になく、長い行軍で疲れ切ってバレーフォージに辿り着いた。宿営の場所を選び、防御線が計画され配置についた。数日後にはスクーイルキル川に氷が張った。積雪量は6インチ (15 cm) であった。1,000戸以上の小屋が建設されたが、絶対数が不足しており絶えず悩みの種であった。
 
兵士達には不定期に肉やパンの配給があった。ある者は小麦粉と水を混ぜた味のない「ファイアケーキ」で栄養補給していた。その時の状態が最悪だったので、ワシントンは悲観的に述べている「何か大きな変化が突然起こらなければ、 ... この軍隊はきっと ... 飢えて、解体され、日々の糧を得るための最善の方法として散り散りになってしまうに違いない」。動物達も似たようなものだった。ワシントン軍の砲兵隊長[[ヘンリー・ノックス]]将軍は何百頭もの馬が餓死するか疲労死したと書き残した。