「石川五右衛門」の版間の差分

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ヨモギ (会話 | 投稿記録)
当時の処刑記録から有り得ない説を除去
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*三条河原で煎り殺されたが、この「煎る」を「油で揚げる」と主張する学者もいる。<!--その主張から考えると、石川五右衛門は油で煮殺されたということになる。--><!--重複-->母親は熱湯で煮殺されたという。熱湯の熱さに泣き叫びながら死んでいったという記録も実際に残っている。
*有名な[[釜茹で]]についてもいくつか説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説(絵師による処刑記録から考慮するとこちらが最有力)がある。またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。
*釜茹でではなく釜で焼かれたともいわれている。
*鴨川の七条辺に釜が淵と呼ばれる場所があるが、五右衛門の処刑に使われた釜が流れ着いた場所だという。なお、五右衛門処刑の釜といわれるものは江戸時代以降長らく法務関係局に保管されていたが、最後は名古屋刑務所にあり戦後の混乱の中で行方不明になった。
*処刑される前に「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」と[[辞世の句]]を詠んだという。([[古今和歌集]]の[[仮名序]]に、たとへ歌として挙げられている「わが恋はよむとも尽きじ、荒磯海(ありそうみ)の浜の真砂(まさご)はよみ尽くすとも」の本歌取か。)