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[[File:Hokkai Times 19270422 Mimasu Kwan.jpg|thumb|400px|『[[北海タイムス]]』1927年4月22日付に掲載された同館の広告。]]
=== 美満壽館時代 ===
[[1921年]](大正10年)、[[札幌市]]南5条西3丁目<ref>[[1922年]](大正11年)に札幌区は市制を施行し札幌市となっている([[札幌市#行政区画の変遷]]も参照)</ref>(現在の[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|札幌市中央区]]南5条西3丁目)に'''美満壽館'''として設立される。大正末年の1920年代には、札幌市内の映画館は、同館のほか、[[錦座]]、[[帝国館]]、[[中央館]]、[[松竹遊楽館|遊楽館]]、[[金春館]]、[[松竹館]]、[[エンゼル館]]、[[豊平映画劇場|八二館]]の8館が存在した<ref>[[#外部リンク|''全国主要映画館便覧 大正後期編 北海道'']]、みつ豆CINEMA, 2012年6月12日閲覧。</ref>。
 
1927年(昭和2年)4月22日付『[[北海タイムス]]』に同館が出した広告によれば、[[ユナイテッド・アーティスツ]]が1924年(大正13年)に製作した[[D・W・グリフィス]]監督の『[[素晴らしき哉、人生!]]』、[[日活大将軍撮影所]]が製作し同年2月9日に東京では公開されていた[[内田吐夢]]監督の現代劇『[[競走三日間]]』、同じく同年1月28日に東京では公開されていた[[中山呑海]]監督の時代劇『[[愛闘苦闘]]』が2か月遅れで上映されている<ref name="HT19270422">『[[北海タイムス]]』、1927年4月22日付、第2面。</ref>。同年の時点では、札幌市内の映画館は、同館のほか、九島興行の中央館、遊楽館、[[三友館]](のちの日活館)、および[[帝国座 (札幌市)|盛賑館]]、[[松竹座]]、エンゼル館、別当興業の[[美登喜館]]、八二館の8館が存在した<ref>[[#外部リンク|''昭和7年の映画館 北海道'']]、中原行夫の部屋、2012年6月12日閲覧。</ref>。当時同館専属の[[活動弁士]]に、作家の[[小林多喜二]]と親交があった[[五條楓声]]がいた<ref>小林、p.251.</ref>。
 
[[第二次世界大戦]]終戦から4年後の[[1949年]]([[昭和]]24年)、'''札幌大映劇場'''に改称され、[[大映]]の封切館となったが、その後、同館の東宝による買収にあたり、「札幌大映劇場」は北4条西3丁目に移転した(1974年閉館)。