「ローマ帝国」の版間の差分
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ドミティアヌスが暗殺されたのち、紀元[[1世紀]]の末から[[2世紀]]にかけて即位した5人の皇帝の時代にローマ帝国は最盛期を迎えた。この5人の皇帝を[[五賢帝]]という。
のちに
またこの時代には、法律([[ローマ法]])、交通路、度量衡、幣制などの整備・統一が行われ、領内には軍事的安定状態が保たれていたと思われるが、地中海の海上流通は減退が見られ軍隊の移動も専ら陸路をとるようになる時期だった。また軍隊と繋がる大土地所有者が力を持ち、自由農民がローマ伝統の重税を避けて逃げ込むケースが増え、自給自足的な共同体が増加した時期でもある。
* [[96年]] - [[98年]] [[ネルウァ]]
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[[パクス・ロマーナ]](ローマの平和)により、戦争奴隷の供給が減少して労働力が不足し始め、代わりに[[コロヌス]](土地の移動の自由のない農民。家族を持つことができる。貢納義務を負う)が急激に増加した。この労働力を使った[[小作]]制の'''[[コロナートゥス]]'''が発展し始めると、人々の移動が減り、商業が衰退し、地方の離心が促進された。
[[284年]]に最後の[[軍人皇帝]]となった[[ディオクレティアヌス]](在位:[[284年]]-[[305年]])は混乱を収拾すべく、帝権を強化した。元首政と呼ばれる、
ディオクレティアヌスは税収の安定と離農や逃亡を阻止すべく、大幅に法を改訂、市民の身分を固定し職業選択の自由は廃止され、彼の下でローマは古代から中世に向けて、外面でも内面でも大きな変化を開始する。
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