「カースト」の版間の差分

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== 歴史 ==
;=== 発祥 ===
{{See|ヴァルナ (種姓)}}
[[アーリア人]]がカースト制度の[[ヴァルナ (種姓)]]を作った理由はすでにかなり研究されている。アーリア人はトゥーラーン近郊を起源としているが、当然、このあたりに存在する疾患にしか免疫(液性免疫・細胞性免疫)を有していなかった。アーリア人の侵略の初期においては、[[ドラヴィダ人]]などの原住民と生活圏をともにし、時には婚姻関係さえ結んでいた。しかし、侵略範囲が広大化してくると、トゥーラーンから離れれば離れるほど、アーリア人が経験したことのない感染症を原住民が保有・保菌している事態が出てきた。
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これらに対応するためにアーリア人が取った政策がアーリア人とそれ以外の民族との「隔離政策」「混血同居婚姻禁止政策」である<ref>NewGuinea Tapeworms and Jewish Grandmothers (By ROBERT S. DESOWITZ)</ref>。制度発足時は「純血アーリア人」「混血アーリア人」「原住民」程度の分類であったとされ、「混血アーリア人」を混血度によって1~2階層程度に分けたため、全体で3~4の階層を設定した<ref>NewGuinea Tapeworms and Jewish Grandmothers (By ROBERT S. DESOWITZ)</ref>。その後アーリア人はこの政策を宗教に組み入れ、ヴァルナに制度として確立させた。
 
=== 他宗教とのかかわり ===
;仏教
紀元前5世紀の[[仏教]]の開祖である[[釈迦|ゴータマ・シッダッタ]]は、カースト制度に強く反対して一時的に勢力をもつことが出来たが、5世紀以後に勢力を失って行ったため、カースト制度がさらにヒンドゥー教の教義として大きな力をつけて行き、カースト制度は社会的に強い意味を持つようになった。
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[[ムガル帝国]]における[[イスラム教]]の経済力と政治力や武力による発展のなかで、ヒンドゥー教からの改宗者が多かったのは、下位のカーストから抜け出し自由になるのが目的でもあった。
 
== 植民地支配時代 ==
[[大英帝国]]支配下の[[イギリス領インド帝国]]時代、イギリス人を支配階級に戴くにあたって、欧米諸国の外国人を上級カースト出身者と同等に扱う慣習が生じた。これは後のインド独立時において、カーストによる差別を[[インド憲法|憲法]]で禁止する大きな要因となった。