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父の余嵩慶は[[河南省]][[商丘市|商丘県]]出身、[[1876年]]([[光緒]]2年)に[[進士]]に及第した。
嘉錫は、幼年より[[五経]]や四史(『[[史記]]』『[[漢書]]』『[[後漢書]]』『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』)『[[楚辞]]』・『[[文選 (書物)|文選]]』等の勉学に励み、14歳の時には『[[孔子]]弟子年表』を作り、15歳で『
[[1901年]]([[光緒]]27年)に[[挙人]]に選ばれた。その際の考査官は、『[[新元史]]』の撰者である[[柯劭ビン|柯劭忞]]であった。一時、北京に上るも、父の喪に服するため、帰郷して故郷の中学・師範学堂で教えた。
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