「余嘉錫」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Gustav (会話 | 投稿記録)
21行目:
父の余嵩慶は[[河南省]][[商丘市|商丘県]]出身、[[1876年]]([[光緒]]2年)に[[進士]]に及第した。
 
嘉錫は、幼年より[[五経]]や四史(『[[史記]]』『[[漢書]]』『[[後漢書]]』『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』)『[[楚辞]]』・『[[文選 (書物)|文選]]』等の勉学に励み、14歳の時には『[[孔子]]弟子年表』を作り、15歳で『[[{{仮リンク|呉越春秋]]|zh|吴越春秋|wuu|吴越春秋}}』に注した。16歳の時、[[張之洞]]著『書目答問』を読み、同著の『輶軒語』を読むに及んで、『[[四庫全書総目提要]]』を知り、翌年、父によって「四庫提要」を買い与えられた。その後、50年余にわたり、本書の考証を継続し、『四庫提要弁証』を撰した。
 
[[1901年]]([[光緒]]27年)に[[挙人]]に選ばれた。その際の考査官は、『[[新元史]]』の撰者である[[柯劭ビン|柯劭忞]]であった。一時、北京に上るも、父の喪に服するため、帰郷して故郷の中学・師範学堂で教えた。