「ウェイクフィールドの戦い」の版間の差分

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正確な日付も分かっていないのと同様に正確な戦場の場所も分かっていないのだが、最も有り得そうな場所はサンダル城の北のウェイクフィールド・グリーンとして広く発展している辺りである。ヨーク公が死んだ現場に立てられたという記念碑は、その少し南の可能性がいっそう高いとされる場所(「古い記念碑があった」と伝えられる)に置かれたが、後の内戦で破壊された。
マーガレット女王が実際に戦場にいた可能性は低く、[[ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)|サマセット伯]]と[[ヘンリー・パーシ (第3代ノーサンバランド伯)|ノーサンバランド伯]]が戦闘の指揮を執っていたと思われる。
 
シェークスピアの戯曲でのエドムンドは少年として描かれており、[[ジョン・クリフォード (クリフォード男爵)|クリフォード卿]]やマーガレット王女の無用な大虐殺に彼の父親であるヨーク公がその死の前にも苦しめられているところが描かれている。確かに現実でもヨーク公もエドムンドもこの戦闘で戦死するのだが、実際にはこの時エドムンドは既に17歳で、充分戦闘に参加できる年齢に達していた。