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|航空兵力=
|備考=
|}}'''リーフデ号'''(リーフデごう、[[オランダ語{{Lang-nl-short|蘭]]:DeDe Liefde)Liefde}})は、[[1600年]](慶長5年)[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]に、[[豊後国]](現[[大分県]])に漂着した[[オランダ]]の[[商船]]。300トン。[[船長]]は[[ジャコブ・クワッケルナック|クワッケルナック]]。漂着地は[[臼杵湾]]の[[黒島 (大分県臼杵市)|黒島]]ともされるが、豊後国のどの地点かは不明。
 
==概要==
船名の「{{Nl|Liefde}}」はオランダ語で「愛」を意味する単語。元々は[[ルネサンス]]期の[[人文主義者]]として知られる[[デジデリウス・エラスムス|エラスムス]]の名を冠した「{{Nl|''Erasmus''}}(エラスムス号)」という船名であった。しかしこの名称が付けられた経緯、また変更された経緯については不明である。
 
2年前に本国オランダの[[ロッテルダム]]を出航。初めは5隻の船団であったが、[[マゼラン海峡]]通過後の[[太平洋]]で、悪天候などにより離散した。乗組員は110人ほどいたが、生存者は僅かに24名。生存者の中にも重傷者が多く、翌日に3人が死亡したという。生存者の中には[[江戸幕府]]の外交顧問になった[[ヤン・ヨーステン]]や[[ウィリアム・アダムス]](三浦按針)も含まれていた。[[日本]]に到着した初めてのオランダ船。また、アダムスは、日本に初めて来た[[イギリス]]人であった。