「イタリアの国旗」の版間の差分
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=== イタリア統一運動 ===
[[1848年革命]]から、[[イタリア王国]]が建国される[[1861年]]にかけての[[イタリア統一運動]](リソルジメント)の中で、トリコローレは自由と独立を求める運動のシンボルとなった。[[サヴォイア家]]の紋章を取り付けた三色旗は、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ・ピエモンテ王国]]軍の旗として1848年に登場した。サルデーニャ国王[[カルロ・アルベルト]]は、ロンバルド・ヴェネツィアの人々に、次のように布告している。「イタリア統一の意思を外部に対してより明らかにするために、われわれはわれわれの部隊を求める。……イタリア三色旗の中
[[トスカーナ大公国]]は、1848年の立憲革命により[[ハプスブルク=ロートリンゲン家]]の大紋章のついたオーストリアの旗を廃し、同家の単純化した紋章をとりつけたトリコローレを掲げることになった。しかしながら、イタリア統一に敵対するオーストリアの赤・白・赤の旗の意匠が同家の紋章には含まれているのは注目に値する。1859年、大公国は公的に存続が否決されて、モデナ・パルマの両公国とともに、紋章の無い
[[両シチリア王国|両シチリア立憲王国]]の旗は、カスティリャ・レオン・アラゴン・両シチリアの紋章を組み合わせた紋章を白地に配したものだが、[[フェルディナンド2世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世]]によってこれに緑と赤の縁取りを加えた旗が、1848年4月3日から1849年5月19日まで使われた。1848年1月12日から1849年5月15日まで存続したシチリア暫定政府は、
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=== イタリア王国(1861-1946年) ===▼
[[ファイル:Flag_of_Italy_(1861-1946).svg|200px|thumb|left|イタリア王国旗(1861-1946)]]▼
1860年6月21日、両シチリア王国の旗はトリコローレの中央にブルボン家の紋章を配したものに改められた。この旗は、両シチリア王国が[[ジュゼッペ・ガリバルディ|ガリバルディ]]の[[千人隊]]に敗北し、イタリア王国に取り込まれる1861年3月17日まで使用された。
▲=== イタリア王国(1861-1946年) ===
▲[[ファイル:Flag_of_Italy_(1861-1946).svg|200px|thumb|left|イタリア王国旗(1861-1946)]]
[[1861年]]4月15日、サルデーニャ王国の国旗は、新たに建国された[[イタリア王国]]の国旗となった。トリコローレの中央にサヴォイア家の紋章を取り付けたこの旗は、1946年6月に[[1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票|王政が廃される]]までの85年間、イタリアの国旗であった。
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=== イタリア社会共和国(1943-1945年) ===
[[ファイル:War_flag_of_the_Italian_Social_Republic.svg|right|thumb|イタリア社会共和国の軍隊用旗。市民用旗・政府用旗としては用いられない。]]
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